「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     ドバイから(2)) 郷愁のクリークと市場

2008-11-23 05:18:48 | Weblog
在ドバイ30年のAM夫妻の案内で、僕らは46年前始めてUAE(アラブ首長
国連邦)の地を踏んだドバイに隣接するシャージャの飛行場跡地を訪れた。
ドバイ発展の効果もあって、この国も活気に満ちていた。4車線の広い道路
の両側には高層ビルが立ち並び、まだ建設中のビルの上には建設機械が
音を立てていた。

シャージャ飛行場は"跡地”になっていたが、幸い昔の管制塔や乗客室が博
物館として保存されていた。かっての砂漠の滑走路は道路に変わってしまっ
たが、博物館で昔のよすがを知り、僕らのセンチメントを慰めてくれた。昔は
砂漠の道なき道だったが、今は完全舗装になった道路を約1時間で僕らはドバ
イに戻った。

ドバイの町はクリーク(入江)から発展した街だ。46年前、僕らはドバイとデリラ
を結ぶ船着場近くのドバイのエアポート.ホテル(部屋数12)の2号室に宿泊し
たが、もちろん、このホテルは高層のもに変わっていた。しかし,想い出の船着
場は昔のままで、昔同様、アブラという名の渡し舟がひっきりなしに走っていた
が、乗客は住民ではなく観光客である。アブラも手漕ぎではなく、動力船になっ
ていた。ただ料金は1DH(約30 円)で、昔僕のメモにある15円と変わっていた。

クリークの両側にあったスーク(市場)は場所は同じ所だが、屋根がついて近代
化されていた。地べたに座ってサカナを売っていた、黒づくめで顔までベールを
していた地元の女たちの姿は消え、かわって外国からきた男たちは売っていた。
サカナ市場には、サカナをさばく店までできていた。ちなみにさばき料は小魚で
1DH(30円)であった。(続)







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2 コメント

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アラブでないアラブ (kakek)
2008-11-24 09:40:06
chobimame さん
現地の英字紙「Gulf News」(11月17日」の見出しです。
”Gulf growth still on track"とありました。
ものすごい活力です。イラクとドバイは同じアラブかと疑います。
日本の企業による新鉄道システムには全世界41カ国から1万4千人の労働者が動員されています。ものすごい活力です。

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石油と砂漠の国 (chobimame)
2008-11-23 20:52:45
アラブと言って連想するものは石油と砂漠ですが、今のドバイには民族衣装をきた現地人以外はアラブを感じさせるものがないと聞きました。
外国企業やセレブな個人投資が投資の意味での土地の売買などもしていて、そろそろ金額的にも面積的にも買えなくなるらしいですね。
ドバイはこれからも興味深い国です。
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