今年もふだんご無沙汰の知人友人から沢山の年賀状を頂いた。炬燵に当たりながら、
家族でこれを読むのが、日本の正月の風景だが、調べてみると、元旦に賀状が届くよ
うになったのは、僅かこの半世紀のことなのだ。今のお年玉つき年賀状が始まったの
は昭和24年新年からである。それまでは、たいがいの日本人は新年に賀状を出す習
慣だった。
暮に亡父の文庫を整理したら戦前から戦後の年賀状が出てきた。もっとも古いのは大正
9年の賀状。90年前のものだ。昭和2年は「諒おん(門構えに音)欠礼(二つとも略字では
ない)」と書いてある。その年の暮の25日に大正天皇がお隠れになっている。昭和13年の
賀状の書き出しは"赫々たる御稜(みいつ)の下,皇軍至るところ連戦連勝”で始まってい
る。一方、戦後の22年の賀状は"自由と平和の春を迎えて皆様の御清福をお祈りします"
とある。その時々の時世を反映していて面白い。
その点、最近の年賀状にはおきまりのものが多く個性がない。しかし、一年に一回のご
無沙汰を詫びるにはよい。年をとると賀状の枚数も減ってくるが困るのは人生の先輩の中
には賀状の交換が負担になってきた方がいることだ。こちらから出しても返事がない。どう
対応すべきなのだろうか。昨2日、わが家に90歳と80代後半のお二人から電話で新年の
挨拶があった。やがて僕もそのようになるのかもしれないが、生きている限りは賀状をその
証拠として出したいものだ。
家族でこれを読むのが、日本の正月の風景だが、調べてみると、元旦に賀状が届くよ
うになったのは、僅かこの半世紀のことなのだ。今のお年玉つき年賀状が始まったの
は昭和24年新年からである。それまでは、たいがいの日本人は新年に賀状を出す習
慣だった。
暮に亡父の文庫を整理したら戦前から戦後の年賀状が出てきた。もっとも古いのは大正
9年の賀状。90年前のものだ。昭和2年は「諒おん(門構えに音)欠礼(二つとも略字では
ない)」と書いてある。その年の暮の25日に大正天皇がお隠れになっている。昭和13年の
賀状の書き出しは"赫々たる御稜(みいつ)の下,皇軍至るところ連戦連勝”で始まってい
る。一方、戦後の22年の賀状は"自由と平和の春を迎えて皆様の御清福をお祈りします"
とある。その時々の時世を反映していて面白い。
その点、最近の年賀状にはおきまりのものが多く個性がない。しかし、一年に一回のご
無沙汰を詫びるにはよい。年をとると賀状の枚数も減ってくるが困るのは人生の先輩の中
には賀状の交換が負担になってきた方がいることだ。こちらから出しても返事がない。どう
対応すべきなのだろうか。昨2日、わが家に90歳と80代後半のお二人から電話で新年の
挨拶があった。やがて僕もそのようになるのかもしれないが、生きている限りは賀状をその
証拠として出したいものだ。
脳溢血で倒れた大正生まれの先輩から、不自由な左手で書いた年賀状が届きました。親友の奥さんからは鬱病で寝たきりの彼に代わって代筆の賀状が届きました。メールでは、この感激はありませんね。ただ長い人生です。お互いに事情があり、賀状をだせない環境もあります。難しいですね。
確かに年齢的なものもありますね。一昨年一通だけEメールで賀状を貰いましたが、昨年、今年はゼロです。西欧ではクリスマス・カードのやり取りを昔どおりやっているでしょうか。大正天皇の御逝去に一国民まで賀状を遠慮していたのには驚きました。昭和天皇の時はありませんでした。時代ですね。
年に一回ぐらい普段疎遠の人と賀状で挨拶を交わすしきたりぐらい残したいものですね。
最近では書かない人が多く、たいてい携帯なのになってきています。
今年は年賀状の売れ行きも不景気を反映して悪いそうですね。
郵便局員が現物支給された年賀状をチケット屋などに売りにいき、年賀状の値崩れが起こったとか。
どんどん風習が廃れていくのでしょうか。
やはり年賀状は形式的なものでも、頂くと嬉しいものですね。