「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

明治の女性 村岡花子と大森

2014-06-01 05:46:29 | Weblog
亡くなった親友の夫人が戦争中の少女時代、東京大森の村岡花子さん宅の庭で、友だちだった養女のみどりさん(故人)と一緒に隠れん坊をしたり、芝生の上で”おままごと”や本を読んだりした想い出を、昨日放送されたNHKラジオの甲府発深夜便「村岡花子」特集に投稿された。夫人から前もって、その話を聞いていたのだが、途中眠ってしまい、聴き逃してしまった。

僕がスウィッチを入れた時は、村岡さんが子供向けに話をした「アリババと40人の盗賊」のレコードが流れていた。昭和14年制作のレコードだそうだが懐かしまった。村岡さんは「赤毛のアン」や児童向け図書の翻訳者や著者として有名だが、僕ら昭和1ケタ初期の世代には、当時(昭和8年―16年)NHKラジオの夕方の「子供のニュース」のおばさんとしての名前の方が、よく知られている。たしか「アリババ」の話もラジオからも流れたのではなかろうか。僕は友だちと”開けゴマ”と遊びまわった記憶がある。

村岡さんは大正8年結婚後亡くなるまでの50年間、大森の入新井に住んでおられた。当時の家は今は改築されたが、その跡に「花子とアン」記念館がある(現在は村岡花子特別展が大田区郷土史館で開催中なので休館中)大森のこの辺りは戦前は馬込文士村にも近く、関東大震災の後、作家や画家、音楽家など文化人が多く住んでいた。村岡さんは明治26年6月生まれだが、僕の亡母も偶然7月生まれである。また村岡さんが上京して卒業した城東小学校は母の卒業した学校と同じ品川区にある。

そんな関係で改めて、この時代の女性が生きた跡をたどってみた。まず少女時代に日露戦争が起きている。結婚後すぐの時代に関東大震災にあっており、昭和の恐慌から日支事変、大東亜戦争に至る期間が子育てと前後している。村岡さんは、亡母と違って戦前はとかく異端視されがちだったキリスト教徒であり、物書きだっただけに戦争の影響をもろに受けたのではなかろうか。NHKラジオの「子供のニュース」のキャスターも16年12月、大東亜戦争勃発と同時に辞めている。それでいて、戦争中、村岡さんは大政翼賛会の大東亜戦争文学者会議に参加したため、戦争遂行の協力者だとして戦後批判されている。二人とも今年は生誕121年である。

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2 コメント

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大正ロマン (chobimame)
2014-06-01 08:31:58
明治、大正、戦前の昭和と、女性が仕事を持つことが一般的ではない時代だったと思いますが、大正だけは職業婦人や芸術文化で名前を残している人が多いのは、大正という少し変わった時代だからでしょうか?近代で一番芸術文化で華やいだ印象を受ける時代です。アールデコ、アールヌーボ、モガモボ。
震災や恐慌もあり大変な時代でしたが、人の精神面が成長出来た時代のように感じられたりもします。
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義務教育4年の時代 (kakek)
2014-06-01 14:03:20
chobimame さん
やはり戦争がなかったことではないでしょうか。第一次大戦は、ほとんど戦わずして、領土をえています。それに維新後半世紀、文明文化も開花し始めたでしょう。村岡さんも母親も入学したときは学校はお寺でした。義務教育も4年でした。東京ですらそうですから、地方は想像つきますね。
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