「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             70年前の学校のしつけと体罰

2013-03-14 07:11:31 | Weblog
文部科学省が学校教育法で禁じられている体罰を初めて具体的に例示して全国の教育委員会や学校に通達するという。その具体的な例が幾つか新聞に載っていたが、僕のような老人からみれば、たしかに体罰は悪いが、いい年をした教員や教育委員会のお歴々が、ここまで例示しなければ”しつけ”と”体罰”との区別が解らなくなったのかと情けなくなった。

数えてみたら今年は国民学校(小学校)を卒業してからちょうど70年になる。戦争中で僕ら銃後の小国民は、いまの子どもたちよりたくましく鍛えられた気がする。それに伴って体罰もあった。宿題を忘れれば立たされるし、教室で悪ふざけをし先生の言うことを聞かなければ、座席に向かって白墨(チョーク)が飛んできた。さらにいうことを聞かなければ、教室の外に出され、両手に水の入ったバケツを持たされれて立たされた。いずれも今なら体罰である。

中学校に入ると教練という課目があった。将来軍隊に入る準備として銃の持ち方などを教わる授業である。各学校には将校が軍から配属されていた。戦争中である。子供ながらに軍隊では、鍛えるためにビンタが横行していることは知っていた。しかし、僕の学校では一切なかった。今でも覚えているのだが、行軍中鼻くそをほじくった仲間が罰として”○○は鼻くそをほじくりました”と三回大声で言わされ皆から爆笑を買った。なかなかユーモアのある配属将校であった。

昔の子供時代を振り返ると、進級して担任の先生が変わると、怖い先生にならなければよいなあといつも思った記憶がある。それだけ、子供たちにとっては先生は怖い存在だった。しかし、僕は先生から殴られた経験はない。級友たちに聞いてもない。昔の先生たちは、体罰としつけとの区別を理解していたのだろう。教室には一段高いところに教壇があって、先生は子供たちにとって尊敬の的でもあった。

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5 コメント

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ゆとり世代? (chobimame)
2013-03-14 16:01:14
体罰がこんなに問題視され始めたのは、極々近年だと思います。体罰が叫ばれ出したと同時に、変態教師とモンスターペアレントも出現したように思います。
これは何でしょうか?教育現場が緩みきっているのか?それとも人が自分勝手過ぎるのか?ちょうどゆとり教育世代が教育現場の中心であり、また変に権利だけを主張する団塊のジジババに育てられた親がPTAの中心だったりして、教育現場にモラルがなくなっているのではないでしょうか?
体罰に当たるか当たらないかのマニュアルを見ながら生徒を叱っても意味がありません。親に文句を言われたらマニュアルを出して「これはセーフです」など言ったりするのでしょうか?変ですね。
今の日本の学校は、小学校から荒れていて、知人の子供の学年(3年生)のあるクラスでは、1年に6回も先生が交代したそうです。
さすがに6回は多いけれど、2人くらいは普通だそうだと話していました。驚きです。
力で抑えつけるのは問題かもしれませんが、小学生が気に入らない先生をクビに出来る環境も考えものです。家庭教育も大事だと思います。
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やはりゆとり教育 (kakek)
2013-03-14 18:06:51
chobimame さん
ゆとり教育の影響が大きいんではないでしょうか。昔から体罰はあったのですが、しつけの一環のような気がします。しかし、今のように子供をなぐる教師はいなかったのではないでしょうか。
僕らの時代は、先生は経済的には恵まれていなかったようですが、聖職として社会から尊敬され、子供たちの尊敬を集めていましがします。た。先生も今のようにネクタイもせず、ジャンパーで教壇に立つことはなかったのでは。
教育委員会と教育の現場との間にも問題があるみたいな気がします。1年間に担任が6人も変わるというのは、教育以前の問題です。
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教育勅語に替わる公徳心が、敗戦後は完全欠落 (lordyupa)
2013-03-14 22:18:31
日本には宗教による規律・秩序が全く無い。敗戦によってGHQは教育勅語を否定したけれども、一方で、米国流の民主議教育も一切導入しなかった。「親に孝行、兄弟相和し」といった日常生活の基本的な道徳も失い、「何をやっても良い」、「何が正しいかわからない」という日本社会が生じた。国民の努力すべき擬態的な倫理感として、二宮尊徳のような尊敬すべき人物像も失われてしまった。
敗戦后、日本人自身は「魂」を失い、焼け跡からの経済復興のみに忙しく、家庭での躾も自信なさそう、子育ては学校に丸投げ、教師は日教組運動のみに御執心。受験勉強に勝ち抜いて有名大学に合格すること、或いは、スポーツ強豪校に行って、有名選手になることだけが目的で、親は子供を学校に行かせる。もう敗戦后七十年にもなるのに、日本社会として『公衆道徳』を明確にきづかないまま、何をやっても良い異常な社会になってきた。また、学校でも「先生が尊敬され、教えることが大切だ」とはなっていないことが一番の問題ではないでしょうか?
たとえば、授業中に教室後ろで数名の生徒がマージャンをしている。先生が「マージャンをやめろ」と言っても、「センコー、うるせ―なあ」と無視されるだけ。先生がマージャンの牌を取ると、もう生徒がさらに荒れて授業は続けられない。もし、生徒の腕を取って席に座らせると体罰だと言われる。保護者は学校に何とかしろと文句を言うばかり。近年は、夫婦共稼ぎが増えて、子育てをほぼ完全放棄、より一層「公的機関(保育所、幼稚園、学校)」に、おんぶにだっこ。これでは、まともな教育ができるわけがない。しかも中学生が、七夕様の竹笹につける短冊には「正社員になれますように」と書いてあるそうです。


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追加修正版 (lordyupa)
2013-03-14 23:36:35
教育勅語に替わる公徳心が、敗戦後は完全欠落

西欧社会やイスラム社会と異なり、戦前も戦後も日本には宗教による規律・秩序・倫理がほとんど無い。敗戦によってGHQは教育勅語を否定したけれども、一方で、GHQは米国流の民主主議教育も核心部(①多様な人々の一体感=愛国心昂揚②対立する異質な者同士のコミュニケーション能力=debate訓練)は意図的に導入しなかった。目標とする日本人としての人物像が見えてこない、抽象的な「国連憲章みたいな教育基本法」と、形式的な6・3・3制の戦後教育体制(みかけだけの米国制度模倣)が押しつけられた。教育勅語にある「親に孝行、兄弟相和し」といった日常生活の基本的な道徳を失い、「何をやっても良い」、「何が正しいかわからない」という日本社会が生じた。努力目標として、二宮尊徳のような尊敬すべき具体的な国民的人物像も見失われた。
敗戦后、日本人自身は「魂」を失い、焼け跡からの経済復興のみに忙しく、家庭での躾も自信なさそう、子育ては学校に丸投げ、教師は日教組運動のみに御執心。受験勉強に勝ち抜いて有名大学に合格すること、或いは、スポーツ強豪校に行って、有名選手になることだけが目的で、親は子供を学校に行かせる。もう敗戦后七十年にもなるのに、日本社会として『公衆道徳』を明確にきづかないまま、何をやっても良い異常な社会になってきた。
また、学校では「先生が尊敬され、先生が教えることが大切だ」とは本音では、誰も思っていない社会。
たとえば、授業中に教室後ろで数名の生徒がマージャンをしている。先生が「マージャンをやめろ」と言っても、「センコー、うるせ―なあ」と無視されるだけ。先生がマージャンの牌を取ると、もう生徒がさらに荒れて授業は続けられない。もし、生徒の腕を取って席に座らせると体罰だと言われる。保護者は学校に何とかしろと文句を言うばかり。学校側も定員割れや悪評を怖れて、成績不良児や問題児を退学もさせないで、そのまま卒業させてしまう。実は、親子とも欲しいのは、就活で提出する卒業証書だけ。近年は、夫婦共稼ぎが増えて、家庭での子育てをほぼ完全放棄、より一層「公的機関(保育所、幼稚園、学校)」に、おんぶにだっこ。これでは、まともな教育ができるわけがない。しかも中学生が、七夕様の竹笹につける短冊には「正社員になれますように」と書いてあるそうです。ゆとり教育だけでなく、ここ70年間にわたり、戦後教育は一貫して欠陥教育。
・・・ここから多数誕生したのは自虐史観に染まった東大など有名大学卒業の朝日新聞記者たち
・・・中国で反日デモが起これば、暴徒に襲われないように、「尖閣は中国の領土」という張り紙を店頭に書いた、とある日系企業の社員たち。
などなど
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成人の道徳教育 (kakek)
2013-03-15 16:51:10
lordyupa さん
まさに教育勅語と修身教育のなかで育った世代です。直接、これら二つから何かを学んだという記憶がありませんが、当時の日本の社会全体に一つのしっかりとした規範があったのではないでしょうか。それは伝統的な儒教教育だったのかもしれないし、仏教の教えだったのかも知れなません。子供も”嘘をつくと閻魔さんに舌を抜かれるぞ”といった中で育ってきました。
戦後の連合軍による教育が、ご説のように最も戦後の道徳破壊の原因ですね。二宮尊徳先生が象徴的ですね。戦中戦前、学校の校庭に銅像があtったといだけで悪者にされてしまいました。
日本の若者が今、一番社会のモラルについて無知だといわれています。親も社会も学校も教えないから、老人が乗り物に乗ってきても席を立ちません。成人への道徳教育から始めなくてはなりません。
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