「イスラム国」(IS)がイラク北部の町モスル近くにある2000年前の世界遺産ハトラの都市遺構を破壊し始めたという。ISはすでにモスル博物館にある古代の石像をハンマーや電気ドリルで壊している。彼らは7世紀前後のイスラム創生期の文明以外は認めず、偶像崇拝禁止のイスラムの誤った原理に従って、この擧に出ているらしい。
モスルの名前を聞いて、僕は半世紀以上前、新聞社の新年企画”アラビアン.ナイトは生きてる”という連載を書く時読んだ「千夜一夜物語」の中の”モスルのイアサク”を想い出した。内容はすっかり忘れてしまったが、たしかイアサクというモスルから来た商人が色々珍しい話をお姫様にする話ではなかっただろうか。その時、僕はモスルが、日本で”モスリン”と呼ばれている布地の産地の語源であるのを知った。モスルは昔、砂漠を行く隊商宿だったらしく、ここで出来た布地が遠く日本にまで伝わってきた。
日本にも明治維新の前後に”廃仏毀釈”運動があって、全国の仏教の寺が壊されたり仏像が破壊された。奈良の興福寺にあった食堂や千葉の鋸山の五百羅漢の仏像などは、この時破壊された。”廃仏毀釈”は仏教を廃し釈迦に反対するという意味だが、本来は神仏習合を廃止して分離しようという運動だったらしいが、これが誤って解釈されたようだ。
モスルは世界三大文明発祥の地、チグリス.ユーフラテス地域にあり、その歴史は日本の比ではない。2000年、3000年の悠久の歴史の中で残存してきた歴史遺産が、偏見ともいえる宗教観からこのように破壊されるのは見るに耐えない。世界人類共通の財産である。ユネスコは世界各国に呼びかけて即時ISの行動をスットプさせなければならない。
モスルの名前を聞いて、僕は半世紀以上前、新聞社の新年企画”アラビアン.ナイトは生きてる”という連載を書く時読んだ「千夜一夜物語」の中の”モスルのイアサク”を想い出した。内容はすっかり忘れてしまったが、たしかイアサクというモスルから来た商人が色々珍しい話をお姫様にする話ではなかっただろうか。その時、僕はモスルが、日本で”モスリン”と呼ばれている布地の産地の語源であるのを知った。モスルは昔、砂漠を行く隊商宿だったらしく、ここで出来た布地が遠く日本にまで伝わってきた。
日本にも明治維新の前後に”廃仏毀釈”運動があって、全国の仏教の寺が壊されたり仏像が破壊された。奈良の興福寺にあった食堂や千葉の鋸山の五百羅漢の仏像などは、この時破壊された。”廃仏毀釈”は仏教を廃し釈迦に反対するという意味だが、本来は神仏習合を廃止して分離しようという運動だったらしいが、これが誤って解釈されたようだ。
モスルは世界三大文明発祥の地、チグリス.ユーフラテス地域にあり、その歴史は日本の比ではない。2000年、3000年の悠久の歴史の中で残存してきた歴史遺産が、偏見ともいえる宗教観からこのように破壊されるのは見るに耐えない。世界人類共通の財産である。ユネスコは世界各国に呼びかけて即時ISの行動をスットプさせなければならない。
それにしてもなんと愚かな事をしているのでしょう。
野蛮国家建国には歴史は、邪魔なのかもしれません。
もうそんなことをしている時点で国ではなく、テロリストだと世界に発信していると気がつかない愚かさは狂気です。
早く壊滅させねばなりませんが、どうしたものか難しいですね。
世界中の問題ですから、各国が連携をとるしかないのでしょうが。
ISの斬首の男は英国で教育を受けたクエート人。パリの風刺新聞社を襲った男はアルジェリア人。二人に共通なのは、かっての植民地宗主国に対する僻みみたいなものがあるように見えてなりません。おそらくISに参加している連中は多かれ少なかれ同じだと思います。jわれわれの常識では考えられない思考です。
国連は機能していませんが、人類の宝物を守るために「十字軍」を冗談でなく派遣すべきです。
数千年の間には、政治体制、宗教体制も大きく変わり、経済的に豊かで政治的に安定した近代的な国民国家が確立しない限り、その領土のなかにある遺跡保存は困難なのだと思います。。
2001年には、タリバンのような過激派がバーミャン大仏遺跡を破壊したこともありました。古くは、儒教を重んじた李氏朝鮮では、仏教弾圧により仏像や寺院の破壊が進み、日本などへかろうじて無事に避難できた仏像などを、最近になって、韓国人窃盗団が盗んで、韓国のものだと滅茶苦茶なことを声高に叫んでいます。中国では、毛沢東共産主義時代の「批林批孔」文革運動では孔子廟が徹底的に破壊されました。ところが、近年は儒教精神など全く無視しているのに、「孔子学院」などという中国共産党の大学出先機関を世界中に展開しています。
東京の神田明神は元和2年[1616年]現在の地に徳川2代将軍秀忠により造営され江戸の総鎮守神となった。神主には平将門の末裔という芝崎氏が任命され江戸時代が終わるまで世襲で神事を掌った。社殿には、3つ神様が祀られている。一の宮「大黒様(大己貴命)」、二の宮「恵比寿様(少彦名命)」、三の宮「平将門命」。徳川幕府の庇護を失った神田神社に対して、明治5年[1872年] 明治維新の尊王思想に凝り固まった教部省より、朝敵賊臣であった平将門公の祭神廃止を強硬に突き付けられたが、本居宣長の曾孫に当たる本居祠官が東京府知事の大久保一翁に許可願を提出陳情した。少彦名命を茨城県の大洗磯前神社より分霊し、平将門公の霊は境内の摂社へ下すことで、明治7年[1874年]に許可が下りた。第2次世界大戦の日本敗戦后、今永宮司は平将門公の霊を正式な祭神に復座する運動に尽力し、昭和59年[1984年]になって、本殿に百十年ぶりに三の宮として奉祭するようになった。ようやく、平将門信仰も包み込むような神仏混淆の伝統的な日本の風土に戻りました。
スペインのグラナダやトレドなどにはイスラム時代のモスクがキリスト教会として今でも使われているそうですが、スペイン人はケチなのか、宗教に無関心なのか建造物は遺産として価値が増しました。
戦争中シンガポールを占領した日本軍は、街中にあったラッフルズの銅像を台座から引きずり降ろしましたが、川義親昭南特別市顧問は、これを博物館に移転して保存しました。