「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”給油”ではなくメンテが必要な老体疲労

2016-09-08 07:34:21 | 2012・1・1
昔流に書けば一日無為”の毎日なのだが、昨日は珍しく変化のある一日だった。その第一は今年1月入院手術した大腸がんの9か月後の検査結果が判明、採血、CT{コンピューターによる断層造影)共に問題はなく”無事釈放”されたことだ。2014年12月、区の定期検診で結腸がん(第2ステ―ジ)が発見され、腹腔手術で摘出したが、昨年手術後の検査で再発が見つかり開腹手術をしたばかりであった。このほか2013年には膀胱がんと左膝の人工関節置換手術もしており。現在、僕は三つ併行して手術後5年間の事後チェックを受けている。

中国語で”頑張れ”のことを”給油”と言うそうだが、80の老体には”給油”しても意味がないのか、現在、僕は整腸剤を飲んでいるだけで、いっさい制癌剤は飲んでいない。”給油”より、メンテが必用と自分で考え、家族の協力を得て食事に配慮し、思い切って60年の晩酌の習慣を止めた。

吉報をえて帰宅したら、今度はわが身と同じ、かなり使い込んだPC器機がダウンしてしまった。困り果てている僕に同情して、老妻が夕方の忙しい時期にも関わらず、バスに乗って修理会社に出かけてくれた。僕が印刷器との接続部分を触っているうちに、何か間違って別なアナにコードをさしこんでしまったらしい(非科学的な説明だが)。結局壊れた部品を買い替え無事問題は解決した。

老体も老パソコン器機も同じだ。給油しただけではダメなのだ。頑張れだけではダメなのだ。老体のメンテのために人工関節を置換したように、老パソコン器機も新品にしなければ、ならない時期に来ているのかもしれない。

金婚式と豪華客船クルーズ

2016-09-07 05:20:24 | 2012・1・1
“金婚式など大切な記念日に”とわが家で購読している新聞に「憧れのタヒチ.ハワイ.ブルーン.ラグーン」の一面全面広告があった。日本の豪華客船に乗ってタヒチ、ハワイなど46泊47日のハワイ、タヒチなど南太平洋の碧い珊瑚礁の島々を旅しようという広告だ。最低の料金でも179万円、一番デラックスなロイヤルスイーとは805万円もする。一度限りの人生、夫婦そろって参加したいものだが、残念ながら昨年、結婚60年のダイヤモンド婚を祝った僕ら老夫婦は歳を取りすぎてしまった。

60年の結婚生活を振り返ってみれば、僕ら夫婦は比較的恵まれているほうではないか。二度の個人的な欧州旅行で5か国訪れているし、シンガポール、マレーシア、インドネシア周遊旅行も二度している。他人があまり行かない、ペナンからメダンまでマラッカ海峡を横断したり、トバ湖で快速のモーターボートに乗ったことがある。金婚式には台湾旅行を楽しんだ。

昨年のシルバー婚には、老妻が長年楽しんでいるハワイへ2人して行こうと計画していたのだが、好事何とかというが僕が二度のガンで入院してしまった。それに二人の10年有効のパスポートの期限も切れてしまった。超高齢化時代だが、旅は思いたったら吉日である。夫婦が元気なうちに計画するにこしたことはない。今月末、老妻が故郷信州の小学校の同窓会に出席するので、日帰りの高速バスで同行しようかと思っている。タヒチ.ハワイ旅行とは月とスッポンだが。

「老人グループ.ホーム」は安全か 点検の必要性

2016-09-06 05:33:38 | 2012・1・1
要介護1、身障者等級4の85歳の老人だが、高齢者福祉施設について、ほとんど知識がない。 「介護老人施設」と「特別養護老人施設」の区別さえよく解からない。いわんや、先日の台風10号で9人もの犠牲者を出した岩手県岩舘町の「老人グループ.ホーム」に至っては、漠然と名前は聞いたことはあるが、どんな施設なのかよく知らなかった。

早速、ネットで「老人グループ.ホーム」を検索してみたら、岩手県に193件もあり、岩舘町だけで5件もあるのに驚いた。僕が住んでいる東京にも576件もあり、今まで知らなかったのだが、家の周辺にも3件あり、写真まで載っていた。身近な存在なのに、僕はこれまで、そのグループ.ホームの前を通っても気が付かずにいた。

どんな施設なのか東京都の社会保険局のHPを見たら、正式には「都市型軽費老人ホーム」というようで、”地域の高齢者が低所得であっても安心して住める”ための施設のようだ、つまり政府(自治体)の運営する「特別養護老人ホーム」(特養)が、どこも満杯でで入居できず、さりとて民間の有料「介護老人施設」は高くて入れない老人のための施設なのだ。

超高齢化時代、高齢者施設は慢性的に不足しており、将来への見通しも立たない。そこで案出されたのが「老人グループ.ホーム」で政府は民間が「老人グループ.ホーム」を建築する際には、補助金を出すなど色々便宜を与え、運営に当たっても、経営に必要な便利供与している。従って、ここ数年全国的に「グループ.ホーム」建設ブームだが、今回の岩舘の事故を見ても判るように、介護などソフトの面で、問題があるように思われる。あまり問題になっていないが、この際、一斉点検が必要ではないだろうか。

フラダンス最後の発表会 憧れのハワイ

2016-09-05 05:50:54 | 2012・1・1

老妻が年に一回参加していたフラダンスの発表会が先週の土曜日でもって終わりを告げた。所属している教室のメンバーの高齢化で今年は僅か参加者は4人、維持できなくなったからだ。老妻の教室は元々は地域の老人会の教室だったが、それが発展してプライベートなものになり、10数年も続いていた。先生の教え方が上手なと月謝が安いのが原因のようだ。

フラ人口は全国で50万人と言われ、老人会教室の中でももっとも人気のある。フラダンスが、こんなに人気が出るようになったのは、平成になってからではないだろうか。その先駆の世代は、大正後期から昭和1ケタ生まれの女性が、子育てを卒業し、バブル景気で経済的に余裕が出てきた時代である。この世代の女性は青春時代が戦中から戦後すぐの時代で習い事など少ない時代に育った。

戦後すぐの昭和23年、岡晴夫が歌った”憧れのハワイ航路”が大ヒットし、灰田勝彦らの歌うハワイアンが大流行した時代があった。しかし占領下であり、文字通りハワイは憧れの地にすぎなかった。フラダンスもその憧れの延長線上にあるのだろう。ダイヤモンド婚には、ぜひハワイ旅行と思っていたが、時期を逸してしまった。やはり、ハワイは憧れにすぎないのか。

ハリマオー印のインドネシアからの輸入バナナ

2016-09-04 05:30:17 | 2012・1・1
先日、東京のインドネシア大使館に用事があって出かけたところ、知り合いの館員が誇らしげに”インドネシアのバナナです”と3袋も頂戴した。誰でも祖国の産品を遠く離れた地で食べられるのは嬉しいことだ。このバナナは最近、東京の大手スーパーでも売りに出された”スマトラ.ゴールド”というハリマオー(トラ)印で宣伝文句には”黄金の島で育てた黄金のバナナ”と書いてある。

日本では輸入バナナといえば、フィルピンが90%以上のシェアーを占め、あと台湾とエクアドル、メキシコなどが僅かである。僕は前からうインドネシア好きの身びいきから、なぜ比較的近い国なのに輸出しないのかと思っていたが、日本の輸入規定が厳しくて輸出できなかったようである。

スマトラ産のバナナは南スマトラのランプン州の大型農場で生産され、日本の厳しい輸入基準をクリアーしたクリーンのバナナである。半世紀前の昭和41年、僕は新聞社の特派員として、ランプンのタンジュン,カランからパレンバンまで10時間汽車旅行したことがあるが、広大の農地が今なお目に残っている。パダンからメダンまでの夜間バスの旅では山地でハリマオーに遭遇したことがあった。スマトラの人たちにとってハリマオーはシンボルのような動物である。

スマトラ産のバナナのレッテルには”ハリマ―”という言葉はない。しかし、日本のある一定以上の世代にとっては、アニメーションで見た記憶があり懐かしい。僕ら戦中世代も戦時中マレーで活躍した諜報機関員の名前でこれまた懐かしい。今の若い世代は何故スマトラが”タイガー”なのか判らないに違いない。余計なことながら、販売拡張のために一言。


東京都のシルバー.パスと近距離タクシー

2016-09-03 05:39:10 | 2012・1・1
残暑が続く中、昨日東京都の”シルバー.パス”の更新をしてきた。東京都では一部の高額所得者を除く65歳以上の老人に対して、千円払えば、都内の路線バス、都営地下鉄、都電など”無料”で乗れるサービスがある、僕ら年金生活者にとっては大助かりだ。とくに僕が今住んでいる町は、年寄り泣かせという悪評の渋谷駅に通じる東横線の沿線にあるだけに、もっぱら僕は今都心部に出かける際は”シルバー.パス”を使って目黒駅に出ている。

3年前に左膝の人工関節置換手術をしたおかげで、今は痛みもなく杖があれば自由に歩行できるが、やはり長い距離を歩いたり、階段を上り降りするのは疲れる。そこで、最近は身障者手帳のお世話になり、目的地の近くまで”シルバー.パス”で行き、初乗り一区間だけ、タクシーのお世話になることが多くなってきた。昨日も目黒と五反田駅との中間にあるインドネシア大使館まで用があって出かけたが、駅からタクシーを利用してしまった。

老人には同病の主が多いと見えて、東京のタクシー業界では、近距離専門のタクシーを国交省に申請、実験的に大きな駅や盛り場ですでに走らせているらしい。東京では今、初乗り運賃は2キロまで730円だが、これを1キロ400円で乗れるタクシーを導入しようというのだ。確かに今、僕が通院している国立病院までは、1時間に3本しかなく雨の日には困ることもある。が、新制度のタクシーがあれば大助かりである。しかし、これは東京という大都会に住んでいるからこその贅沢な話かもしれない。

都民の視点に立って小池さん頑張ってください。

昭和天皇四兄弟の95年前の御写真

2016-09-02 08:00:06 | 2012・1・1

戦前からわが家の書庫に昭和天皇四兄弟の御写真がある。左から昭和天皇、右へ末弟三笠宮崇仁殿下、ついで海軍士官姿の次々弟高松宮宣仁殿下、そして陸軍将校制服の秩父宮擁仁殿下である。撮影時期は大正10年頃のようだ。戦前、天皇陛下の御写真は「御真影」といって一般に出回っていなかった。明治17年生まれの父は新聞に載った写真でさえ、神棚に飾っていた。この写真は戦前、父が新聞社に勤務していた時代、写真部から入手したものだが、戦前は“懼れ多く”人前に見せることはできなかった。同じ絵柄の写真がネット上でも使用されていて、そう珍しいものではない。

三笠宮崇仁殿下の大東亜戦争下のスマトラ視察

2016-09-02 05:25:02 | 2012・1・1
先日、朝日新聞が書いた”幻の「スマトラ新聞」の記事に触発された感じで、大東亜戦時下のスマトラ軍政の資料を読み直していたら「富の記録思いで集」(昭和56年 富=第25軍略 私家本)の年表の中に、これまであまり気に留めていなかったのだが、三笠宮崇仁殿下が昭和19年4月、第25軍司令部のあった、西スマトラのブキティンギを視察されている。三笠宮は昭和天皇の末弟の宮(100)でおられるが、当時大本営の参謀をされていた。戦争中は軍の行動については一切、秘密にされていたが、殿下がなんの目的でブキティンギを訪れたのか関心があるところだ。

三笠宮に先立って18年7月にも昭和天皇の従兄にあたる竹田宮恒徳殿下がやはり、大本営参謀としてブキティンギを訪れている。大東亜戦争全体の戦局から見て、皇族の宮殿下二人が、何故、当時、僻地視されていたスマトラの奥地の司令部を視察されたのであろうか。いまだご健在の第25軍司令部の戦友会(解散)のお一人に電話で尋ねたら、当時自分は軍の兵卒にすぎず詳しい事は知らないという返事であった。しかし、別の知人は、ブキテインギの軍司令部防空壕にふれ、緊急時の皇族の避難場所の参考としての視察ではなかたったかという。

当時を知る世代の方が次第に少なくなり、証言が求められなくなってきた。10数年前、倉沢愛子慶応大学名誉教授らがブキテインギの防空壕建設に絡み、労務者が虐殺されたという虚妄を流布したときは、まだ証人が大勢おられた。僕の親しい先輩(98)は”われわれが死ねば、何を書き出すかか解からない”と怒っていたが、せいぜい、僕ら多少戦争を体験している世代は、橋渡し役として、その監視にあたる義務があるようだ。

岩泉老人グループ.ホームの台風被害は人災だ

2016-09-01 06:00:59 | 2012・1・1
東北北海道を直撃した台風10号のツメ跡はやはり大きかった。中でも悲惨だったのは岩手県岩泉町の老人グループ.ホームで入居中の認知症の80歳から90歳までの老人9人が、全員遺体となって発見されたことだ。ホームと隣接する敷地には、同じ会社が経営する、コンクリート建て3階建ての老人福祉施設があり、こちらは人的被害がなかったが、ホームは木造2階建てで、濁流に呑まれ全員が犠牲になってしまった。同じ老人施設なのに格差があり悲劇である。

岩手県の老人グループ.ホーム一覧というHPを見ると県内には193か所のグループ.ホームがり、その定義ずけとして”認知症の高齢者が少人数で共同生活を送りながら専門スタッフが行う身体介護と訓練、リハビリを行う施設”とある。岩泉町は本州最大の面積の町だが、人口は1万人足らず。が、町内には特養老人施設、有料老人施設が、それぞれ1か所あり、東京などの首都圏に比べれば、はるかに恵まれている。それなのに、入居費用の安価なグループ.ホームが3か所もある。ここに今回の悲劇の一端があるように思う。

岩泉町では事故のあった30日夕刻、3時間で125ミリの豪雨だった。これは予測できなかったと町長は言っており、町は避難指示も勧告も住民に出していなかったという。しかし、岩泉町から遠く離れた東京にいても、気象庁が発表する台風の情報を聞いておれば、避難勧告がなくとも、災害弱者を預かる施設では緊急時の対策を考えておくのが普通である。まして、今回の場合は、近くに同じ会社の経営する安全な老人施設があったのである。町の対応を含めて事故は人災である。同じ年齢の老人として、”姥捨て山”的老人福祉政策に頭にくる。