オペラ歌手でいえば、発声・呼吸法、そして音感、アンサンブルの適応、など基本とされることがいっぱいあって、その訓練はまさに「職人的」といっていいと思います。
「技巧より自分らしさを」なんてアマチュアのように最もらしく言うひとの話はきいてはならない、むしろ職人のもつ正確な技巧、信頼できる基礎基本、など勉強の九割を成すと思うのです。プロは気まぐれでは成り立たないのでしょう。
「じゃあ自分らしさは?個性は?」という若き自分の「言い分」を思い出します。
時間がもったいない、若いときほど「基礎基本」づくめで勉強が必要でした。
自分らしさ、なんていやでも出てくる、個性なんて隠そうにも隠せない、それも自分の成長と比例するし、これは作るものでなく、誰でもにじみ出てくるもの。
若い音大生のy・aさまがコメントに参加してくださっているけれど、彼女の熱意がまぶしいです。
悩み、疑問におもい、さらにまだまだ勉強すべきことを察して熱意をもっていらっしゃいます。
私の若いときはそこまで純粋に勉強することより、「もっと大切なものがある」なんて思っていました。何よりも大切なものは「若さの持っている時間」だったのに、九割の職人性については、ずっとあと、カップッチッリやべーキが語った「逃げ出したいほどの我慢の連続、基礎基本」のものすごいばかりの勉強でした。
これは、彼らのような偉大な才能をもってしても、なかなか大変だったようで、あとの一割はありのままの自分と楽曲に向き合える背景となる研究だったと思います。そして、「もっともっと!」と精進したこと・・・舞台の上でもずっと練習だったというすごさ、謙虚というより、「こうせずにはいられない」意欲だったと思うのです。大歌手に教えられることは、まだ自分は「発展途上」という意識のかたまりであったこと、いつも新鮮な気持ちで研究なさっていたことと思います。
カップッチッリが言っていたことですが「私はワーグナーだって全編ベルカントで歌えます。でも歌いません」・・・これはもっとつっこんで聞きたかったですね。
なんとなくわかるような気がするのですが・・・
「技巧より自分らしさを」なんてアマチュアのように最もらしく言うひとの話はきいてはならない、むしろ職人のもつ正確な技巧、信頼できる基礎基本、など勉強の九割を成すと思うのです。プロは気まぐれでは成り立たないのでしょう。
「じゃあ自分らしさは?個性は?」という若き自分の「言い分」を思い出します。
時間がもったいない、若いときほど「基礎基本」づくめで勉強が必要でした。
自分らしさ、なんていやでも出てくる、個性なんて隠そうにも隠せない、それも自分の成長と比例するし、これは作るものでなく、誰でもにじみ出てくるもの。
若い音大生のy・aさまがコメントに参加してくださっているけれど、彼女の熱意がまぶしいです。
悩み、疑問におもい、さらにまだまだ勉強すべきことを察して熱意をもっていらっしゃいます。
私の若いときはそこまで純粋に勉強することより、「もっと大切なものがある」なんて思っていました。何よりも大切なものは「若さの持っている時間」だったのに、九割の職人性については、ずっとあと、カップッチッリやべーキが語った「逃げ出したいほどの我慢の連続、基礎基本」のものすごいばかりの勉強でした。
これは、彼らのような偉大な才能をもってしても、なかなか大変だったようで、あとの一割はありのままの自分と楽曲に向き合える背景となる研究だったと思います。そして、「もっともっと!」と精進したこと・・・舞台の上でもずっと練習だったというすごさ、謙虚というより、「こうせずにはいられない」意欲だったと思うのです。大歌手に教えられることは、まだ自分は「発展途上」という意識のかたまりであったこと、いつも新鮮な気持ちで研究なさっていたことと思います。
カップッチッリが言っていたことですが「私はワーグナーだって全編ベルカントで歌えます。でも歌いません」・・・これはもっとつっこんで聞きたかったですね。
なんとなくわかるような気がするのですが・・・