ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

介護のかたわらに寝る、食事する、という日々

2009年03月08日 | 生活・介護
昨夜は徹夜に近かったです。
夜は父がずっとしゃべり続け、何度もトイレに行く、そのたびについていき、ベッドに帰ってきたら布団をかける、すぐまた父はうろうろし、テーブルのスタンドをつける、かぜをひくと父の場合肺炎になるので、またベッドにひきもどし、布団をかける、またまた父は玄関へ・・・鍵をあけようとするのですぐに鍵をかけ、またベッドへ入れる、などなど。

食事は父がせき込むのでお茶を飲ませたり、こぼれたものをティッシュでふきとり、踏まないようにする、途中でトイレに行ったり喉につまったのかうがいに行く、それも目をはなせない、食事がおわったらすぐに入れ歯を洗わないと気が済まない父、それを洗うのも薬で消毒するのも私、だから私は食事などすわって食べたこともないしお皿にわけて入れるより、鍋に残ったのをスプーンで食べ、立ったまま食事が終わる・・・父に薬を飲ませなきゃ、そしてあと片づけ、・・・。

ほっとしてテレビを見ようとしたら、父が椅子から滑り落ちた、頭を打っていない、ほっとして様子をみる、ソックスを滑り止め用のにはきかえさせる、洗濯物を取り入れ、アイロンをかける、フローリングを拭き掃除し、父を入浴させる、終わるとパジャマに着替えさせ、私が入浴、それも一分もすれば、父が「お風呂に入っていないよ~」と叫ぶ、バスルームを急いで洗い、父のためにホットミルクを用意する、しばらくすると「靴がないよ~」とわめく。「家に帰る!」というのをなだめる。自分の家がよそにある、と言うのです。だから靴をかくしています。
父は怒ると血圧が上がるので、なんとかなだめて寝かせる・・・

土日はヘルパーさんなしなので、ずっと父を見ておかなきゃ、こうしてパソコンをしていると、自分が相手にされていないと怒るのでテレビをつけています。

自分の親だから、泣き笑いで世話ができますが・・・。
この生活のリズムで何とかこのブログ書いています。

でも不思議なことに父を介護することが嬉しくもあります。
目に入れても痛くないほどかわいいから。

寝るときに「レモン・ハート」をパラパラとめくって心の疲れをとっています。
気に入った本を置いているだけでも幸福な気持ちになります。
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ジャコミーニ健在 

2009年03月08日 | オペラ
日本におけるイタリア語のパイオニア、ぐらっぱ亭さまがこの一月、オペラコンサートをお聴きになり、その感想を「風の吹くまま、気の向くマンマ」というブログに書かれていましたが、あのジャコミーニが出演、その声に「記念碑的」と絶賛をされていました.
日本の誇る世界的テノール、市原多朗さんも出演していましたが、ジャコミーニのバリトンのような強靭な声、輝かしい高音、・・・そこで「市原クンもがんばってもらわなきゃ困る!」と苦言をひとこと。

ジャコミーニは現在世界で唯一といわれるドラマティックなテノール、今はパワフルな「偉大な声」を持つ歌手は見当たらなくなってしまった、と思いますが。
市原さんはベルゴンツイの薫陶を受け、メットやウイーン、パリでヴェルディの主役を歌っている逸材、ただ、彼の恩師だったN先生は「自分の喉より重い役を歌っている、このままでは長く歌えない」と忠告なさっていました。

ジャコミーニは若い頃、徹底した発声・呼吸法を叩き込まれ、いったいいつオペラを歌えるんだろう、と不安になったころ、ドニゼッティ「ルチア」のエドガルドのようなレッジェーロ(軽快な)な声のものを歌わされた、といいます。
彼は今でも軽い声の役もこなし、一方「オテッロ」やラダメスのような劇的な声の役を難なく歌っていて、コレッリが「あなたのようによい発声を勉強していたら、僕ももっと長く歌えただろう」と言ったのですって。

重い声の役ばかり歌うと喉がかたくなり、柔軟性を失うそうです。
ベルゴンツイは90近い今でも、ヴェルディが歌えるそうです。
若い時の発声と呼吸法ばかりの勉強は、今の歌手たちには耐えられないそうです。
あけてもくれても「アー」だなんて。
曲は自分で勉強するものだ、マエストロには声の調整をしていただくもの、とベルゴンツイは言っていました。
今の若い歌手は、月謝を払ってオペラの全曲をひとつにつき、80万円くらい払って習いにいくそうです。
日本の有名ソプラノが言っていました。「ひとつのオペラに80万円以上つぎ込んで習いに行っているから、もう必死よ」って。
お金持ちがオペラ歌手を目指しているそうです。音叉片手にスケール練習にあけくれたベルゴンツイは「信じられない」と言っていました。

「明日、スカラで歌ってくれるか」と突然支配人に言われたジーリ、ちょっと鼻歌を歌っていただけなのに・・・。
「そのオペラの役は何度も聴いていたので覚えていました。」

そう、天井桟敷に通いつめ、ほとんどのレパートリーを暗譜していた・・・歌わないオペラファンでも全部覚えていて、それはそれはうるさいそうな。

あるとき、歌手が忘れて飛ばしたところを、客が歌ったそうで・・・。


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「論語」を読み始めました。

2009年03月08日 | 中国文化・歴史
永遠のベストセラーなる「論語」を読み始めました。
いやはや、もうけっこう、トゥーマッチ、どうもありがとう、なんて逃げたくなりました。
ああ、疲れた、「入門編」を買っていてよかった、本格的なものなんかノーサンキューだ、読んでいて思わず姿勢をただしたりして。

こんなのもありましたよ。
子曰、性相近也。 習相遠也。子曰、唯上知与下愚、不移。
短いから読んでいたら・・・むむ、真実だが勇気をなくしそうだ・・・
「老師の教え、人間は先天的には差はない。後天的に差が生まれてくるのだ。
老師の教え、天才と凡才とは、どのようにしてもその差は埋められない。」

ガーン、これってハッキリ言いすぎだよ、老師さん!

さらに、現代語訳で「苗の中には花の咲かないものもある。花が咲いても、実をつけないで終わるものがある。」
ふんだりけったり、じゃないか!

しかし、淡い希望をいだかせてくれるのもあります。
現代語訳「老師の教え、仁(人の道)は難しい徳であろうか。我 仁を欲すれば、すなわち仁、至る。」・・・自分がそうありたいと志せば、ただちにその境地に達するのだ。

他に、最も高い境地は「仁に依り 芸に遊ぶ」ということ、遊芸ということばがあります。
これはわかるような気がします。

「論語」はこれまで、再見!
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