ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

「飛翔体」ですって?ミサイルじゃないの!!

2009年03月28日 | 政治
どうしてこんな物騒なこと、じっと待っていなくちゃならないのか、怒髪天を衝く、って感じです。

日本を何と思っているんだ、どうして日本の上空をそんな物騒なものが飛ぶんだ、それを「飛翔体」って!何をいってるんです?ミサイルですよ!!
「ラジオ、テレビを見ておいて」ですって?
オリンピックじゃないんですよ。頭の上をテポドン様が通過なさるんですよ。
コントロールが悪くてストレートでなく、ボールであるかも知れないから、ラジオやテレビでお知らせします、って?

これは何が何でも「何を言ってるんだ!」と怒らなくてはいけないのですよ。
ロシアか中国の上空に変更なさったらいかがですか? できますか?
日本をどう思っているのか、まだ麻生さんだからこれでもマシなほうで、福田だったら!!「あなたとは違います」って北に言えますか?

「前例」を作ってはいけなかったのです。どうしょうもない国だけれど、どうしても日本の上空を飛ぶなら、それだけでも「テロ国家」として世界に訴えてより大きな制裁を考えないと。今頃アメリカも後悔していることでしょう。ヒル国務次官補をイラクへ行かせることも、能力を疑ってきたようです。

それにしてもキム・ヨナは「謝罪」なしのまま、ショート・プログラム一位になってしまいました。
何をしてもいい、なんて思っていたら大変な間違いです。
彼女の母親も態度の大きな人、と聞いていましたが。自浄作用のない親子です。

朝青龍もあっさり負けて!もう知らない!!
相撲も嫌いだ、「レモン・ハート」に飲みにいこうか、本ですが。

結局、「レモン・ハート」へは行かずにステッラをアンコールして、スカッとしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ステッラ劇場第3夜 ヴェルディ「レニャーノの戦い」1961年ミラノスカラ

2009年03月28日 | オペラ
 レニャーノ!これは音楽だけでなく、私の歴史探究に火をつけた!!史実です。
もう聴く前からドキドキです。

しかも主演の3人はステッラ、コレッリ、バスティアニー二ともなると、美女にイケメンふたり、どうしても実際の舞台を彷彿とさせてしまいます。
1961年ミラノスカラのオープニングはヴェルディ没後50年、イタリアのプライドをかけた「レニャーノ」は当時最高最強のキャストで・・・カラスやテバルディはどうしたって?
カラスは前年、ドニゼッティ「ポリウト」(古代ローマ時代の内容)で、衰えてしまった声を聴衆にハッキリさせてしまった・・・客席にはオナシスが陣取り昼寝。
コレッリとバスティアニーニの声はドニゼッティでは不完全燃焼、舞台はあのカラスの独壇場のような演出、聴衆の不満はくすぶっていました。
(よくぞコッソットをいれなかったこと!きっとぶち壊しだったはず。わくわく)

今回のヴェルディ没後50年記念オープニング公演は、スカラの威信をかけてカラスを退け、ヴェルディを上演、カラスより2歳年下のアントニエッタ・ステッラを迎え、昨年の「ポリウト」のイケメンふたりの喉を完全燃焼してもらうべく、開幕しました。

オーケストラは怒涛、合唱は天地を揺るがす、そして3人のヴェルディ歌手はヴェルディの情熱を喉の限りに聴かせ、会場は格別の感動に全身を耳にしたのです。このオペラはイタリア民族の血と涙の史劇だった・・・。

10世紀、ドイツのフリードリヒ一世はヨーロッパ制覇の夢を果たすべく、宮廷の庭まで練兵場にし、念願のイタリア支配政策のためローマカソリックを脅し、ローマ教皇を任命したり政治・宗教を手のうちにおさめ、いよいよイタリアを滅ぼそうと大軍でおしよせてきました。赤ひげのフリードリヒ、というと泣く子も黙る専制君主。

こうききますと、わが「アジア人」の血は「それって赤壁じゃない!」とドキドキ。フリードリヒ一世は曹操か!
一方、ヴェローナの指導者アッリーゴ(コレッリ)とミラノの指導者ロランド(バスティアニー二)は激戦の渦中へ。
アッリーゴの戦死が伝えられ、恋人リーダは父の命令でもうひとりの指導者、ロランドの妻になりますが、アッリーゴは生きていました。
リーダはイタリアきっての美女、父や周囲はアッリーゴに匹敵しイタリアの守護神ともいえる英雄、ロランドに嫁ぐよう、それが「民意」だったようです。

ロランドは自分がまさかの時は妻子をアッリーゴに頼み、激戦へと再び出陣、リーダはかつての恋人アッリーゴを忘れられませんが、お互いにあきらめようとします。しかし、ロランドは妻の不貞を疑い、アッリーゴを幽閉、ロランドはかつて不仲だったコモの指導者と和解し、見事フリードリヒ一世を破り凱旋。アッリーゴは名誉を守ろうと自殺、ロランドは友人と妻の不貞を疑ったことを生涯悔いるのです。

コレッリの声は「乙女心?」をドキドキさせるほど、声もイケメン、彼が悲しみを心も破れよ、と歌うのがたまりません。
一方、バスティアニー二も男の友情が壊れたと悲しみ、私事を忘れるように出陣、なんという高貴さ、そしてステッラは美しいがゆえに運命に翻弄される・・・。

フリードリヒ一世は神聖ローマ皇帝に、フリードリヒ大王となる息子はそんな父に反発、「サロン」で数々の文化を花開かせた人です。(これは曹植が詩にふけったサロンに共通しますが、曹植は悲劇の詩人でした。)

「レニャーノの戦い」では、ヴェローナ、ミラノ、コモらの<ロンバルディ同盟>軍が、策略をもって退却し、追ってきたフリードリヒ一世に牛車で襲い掛かり、王の旗手と馬を殺し、フリードリヒは命からがら逃げた、と史実にあります。

1961年といえば、イタリアオペラで11月にデル・モナコ、レナータ・テバルディが来日、「アンドレア・シェニエ」で開幕したのですが、当時「今イタリアへ行ってもカラだよ」と豪語していた批評家たちは天動説?。

スカラはヴェルディ、それも「レニャーノ」でオープニングしたのです。
「レニャーノ」はあのふたりのレパートリーにはないですね。あのふたりはスカラのシーズンが空いていた、これも日本でふたりを聴けるチャンスになったのですが。スカラ・ヴェルディ没後50年公演というのを当時知りませんでしたから。
・・・ミー先生、感動の連続です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする