ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

「マスコミ奪還」(その参) ~タブーへの挑戦、 森田実氏のエッセイから

2011年06月10日 | 政治

森田実氏の何年ものエッセイを読んでいて、青山繁晴さんとは違って、民主党寄りになったこともある人だ。
しかし、人にレッテルを貼って、考えを盲目的に排除することは、もったいない話でもある。
次のエッセイを読んで・・・考えさせられた。




2006.10.31(その1)
森田実の言わねばならぬ[457]

マスコミを信用してはならない――日本のマスコミは政治権力と合体し国民を支配し圧迫する凶器と化した広告大独占企業「電通」は、政治的中立の立場をとるべきであり、時の政治権力の手先となって国民の政治意識を改造するような大それたことはやめるべきである。広告は政治的に利用されてはならない。政治権力によるコマーシャルを使っての政治的野望の達成を許してはならない。

「テレビは人間の考える力を失わせ、人間を愚かにする地獄の機械である」(ルイ=フェルディナン・セリーヌ)
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 現代社会は「広告社会」であり、独占的な広告企業の影響力は絶大である。米国においては、この巨大な影響力を政治に利用している。日本も米国に従って政治に利用している。だが、広告は政治に使われてはならない。
 2005 年6月頃のことだが、私は本欄において、ワシンシン、ニューヨークからの情報にもとづいて、「米国の保険業界が、日本の郵政民営化を実現するために、米国の独占的広告会社を通じて日本の広告代独占企業である「電通」に、日本国民が『民営化は善、官営は悪』と考えるようにするコマーシャルを依頼した。その金額は5000億円といわれている。この計画は実行された」と書いたことがあった。
 この一文は大きな反響を巻き起こした。たとえばマスコミ界で働く友人からこんな電話がかかってきた。
 「森田さん、電通はマスコミ界の王様。巨大な独占体。絶対者だ。電通に睨まれたら、テレビ局もラジオ局も新聞社も、ましてや個人は、みんなつぶされる。だから、誰も電通批判はしない。批判したとたんに首がとぶ。社会から抹殺される。森田さん、あなたはこれでお仕舞いだ。電通を名指しで批判した者は、マスコミ界にはいられなくなる。電通は絶対者なんですよ」。
 テレビ局の友人からはこんな手紙がきた。
 「森田さんのマスコミにおける言論活動には、これまで政府・自民党側からきびしい批判があったが、テレビ局内にも少数だが良心的ジャーナリストはいる。彼らは森田さんのような反体制的な発言も報道したいと思っていた。しかし、森田さんは『虎の尾』を踏んでしまった。電通批判をしたらマスコミの世界では生きていけない。これから森田さんに出演を依頼するテレビ局はなくなるでしょう。残念ですが、さようなら」。
 もう一つのエピソード。最近、東北地方の某県に講演に行ったとき、地元テレビ局に出向している知人が訪ねてきた。彼は会うなりこう言った。
 「よう! ただ一人電通批判をやった森田さん。森田さんは、テレビ界では『電通批判をやったただ一人の人』と言われているんです。電通批判以後、テレビ、ラジオ、新聞の仕事はなくなったでしょう。電通批判をしたらマスコミ界では仕事はできません。これからどうするんですか? それに森田さん、あなたは公明党・創価学会批判もしている。マスコミ界では創価学会批判はタブーです。マスコミでは電通と創価学会を批判したらダメです」。  
 電通批判をして以来、こんな話ばかりが私の耳に入るが、これが本当なら、マスコミは腰抜けばかりの世界だということになる。
 広告企業が、広告を利用して国民を政治的にマインドコントロールしようとするのは、とんでもない大きな過ちである。国民の政治意識を、時の政治権力の意向に沿って操作し、政治の流れを決めることは罪悪である。広告は、政治的に中立でなければならない。
   

ベッラあとがき

森田実氏のエッセイはここで終わる。それよりも電通って???知らないことだらけである。
それも調べよう。また私のイヤな「街頭インタビュー」の謎?も書いてみたい、というよりもおおいに笑ってみたいのだ。

「総理大臣?誰がやってもいっしょでしょ?」・・・(いっしょじゃないよ!どうしてこんな言い方するんでしょうね)
「国会議員が被災地で暮らしてみたらいい、よくわかるから」・・・(政治の仕事は大切ですよ)
「大震災で大変な時に、政党の争いばかりして」・・・(大変な時なのに何もする気がない与党の肩を持つことになる)
・・・・・とまあ、こんなところでしょう。もう聴きたくないわ、この政権のどこが間違っているのか言いなさいよ!

では、また次回に続くが、断続的になるかもしれません。どうしてマスコミがこんなにひどくなったのか、調べたいとも思いますので。

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「マスコミ奪還」(その弐) ~金曜日「アンカー」の森田実氏の<言わねばならぬ>より

2011年06月10日 | 政治

毎週金曜日の「アンカー」は森田実氏が出演、温厚な老紳士だが、その発言内容が水曜日の青山繁晴氏と共に楽しみになっていた。
「アンカー」ではテロップで、森田実氏が『言わねばならぬ』というエッセイを執筆なさっているとあったが、読んでみたいと思っていた。
新しいエッセイをご紹介。



《今日の論点(2)》菅首相を支持し支援してきた東京の大新聞、大テレビ局の道義的、政治的責任を問う/マスコミによって毎日毎日伝達される膨大な情報の中に非道徳的な頽廃した思考が混入している/マスコミのこんな不道徳を許したら、この世の中はどうなるのか?!

「正直者が馬鹿を見る」(日本の諺)

 東京の大新聞の記者と大テレビ局の報道記者、プロデューサー、ディレクターの道徳観がねじ曲がっているとしたら、国民は子ども、幼児を含めて、毎日毎日歪んだ道徳観を電波と活字を通じて脳に入れられていることになる。大変なことである。
 考えてみただけで、背筋が凍るような恐ろしいことである。

 このことを意識し、反省しながら、報道の仕事にあたっている謙虚な記者はどれだけいるのだろうか? 私が知る限り、東京の大マスコミの幹部記者、編集者のほとんどが非常に傲慢である。
 日本の場合、大新聞社は記者クラブを通じて一体である。ほとんど同じ報道をしている。その上、東京の大新聞社と東京の大テレビ局は系列企業である。大マスコミの報道内容はほとんど同じである。私は、朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙を読んでいる。政治報道に関する限り、産経だけが独自の路線をとっているが、他紙の報道内容はあまり変わらない。最近は朝日と毎日が、菅内閣の応援団の役目を果たしている。この2紙が菅内閣の用心棒の役目を果たしているのだ。しかも、大新聞社間の相互批判はほとんどない。もたれ合いの関係になっている。

 今回の菅首相の大ペテン事件について言えば、毎日と東京の社説は菅首相を擁護している。菅首相が鳩山前首相を騙したことは明らかであるが、毎日と東京の社説は、騙した菅首相と騙された鳩山前首相の二人の罪を同列においている。読み方にもよるが、菅首相の駆け引きのうまさをほめた記事も見られた。菅氏と鳩山氏は20年に及ぶ同志である。外交交渉ではない。同志的関係にあった二人のうち一人は騙した者であり、もう一人は騙された者だ。騙した者は悪人である。騙された者は愚か者である。
 騙した者(悪人)と騙された者(愚か者)を同列に扱うというのは、歪んだ道徳観にもとづいている。東京新聞の社説の中に、嘘をつき、人をペテンにかけた政治家を「老練」と評価する記述があった。この歪んだ道徳観で政治報道が行われているとすれば、政治記事は青少年には読ませられない。日本の政治報道は道徳的に歪んでいる。

 日本の政治は異常である。ペテン師のような、同志を騙してもいささかも恥じないような人物が首相の座にあり、このペテン師的首相を国会議員の過半数を占める民主党の国会議員が支えている。
そしてこの民主党を東京に大新聞が支えている。
菅政権を支えてきた東京の大新聞、大テレビ局は恥を知るべきである。ペテン師的首相に協力し、支持してきたことを反省し、国民に謝罪すべきである。
騙した側を「老練」政治家としてほめ、同志を信じて騙された愚か者としてバカにする大新聞記者の道徳観は歪んでいる。

 日本国民は幼児、少年、青年を含めて、歪んだ道徳観にもとづいた大新聞の記事を毎日読まされ、テレビを毎日見せられているのだ。こんな危険なことはない。恐ろしいことはない。
青少年のいる家庭は大新聞を購読しない方がよいと思う。 日本の新聞記者、報道記者は、海外のプレスの記者に比べると、はるかに傲慢である。謙虚さが不足している。

 謙虚さを失った新聞記者、報道記者ほど危険なものはない。彼らの発する情報の中に、健全な道徳観を奪う非道徳の因子が混入しているのである。
東京の大新聞は今日も菅直人ペテン師的政治の片棒を担いでいる。
6月5日の大新聞はいっせいに「菅首相8月に退陣意向」と報道した。これはあくまで新聞社の予測である。しかも、この報道で菅首相を救っている。菅首相が延命のために再び国民を騙そうとしているとの疑いは払拭されていない。
6月5日の各紙朝刊がいっせいに行った「菅首相8月退陣の意向」との報道には「罠」が隠されていると見なければならない。
これは菅首相の巻き返しへの第一歩かもしれないのである。政治権力の手先と化し菅首相の詐欺的政治に協力してなお恥ずるところのない大マスコミには注意しなければならぬ。


ベッラあとがき

新聞記者、マスコミが傲慢なのは、以前、日経新聞の記者に台湾からの寄付を新聞の一覧表の中に入れていないことを抗議した時、耳を疑うような暴言を平気で言うのに驚いた。これは以前、ブログで書いたが、もう非常識としか言えない態度であった。
私は世間知らずなところもあり、怖いと思ったのだが、ベテランの森田実氏が「傲慢」「謙虚さが不足している」とお書きになっているのだから、その悪質さは際立っているのだろう。

マスコミの言うことや書いていることに毎日影響を受けている哀れな日本国民を「愚民」と蔑視できない。
こんなことがあっていいのかなどと悩む日々だった。
私がイヤなのは「街頭インタビュー」や「芸能人のコメンテーター」(人によるが)・・・耐えられない軽さである。
政治と料理に「芸ノー人」(芸がNOのタレント)が、以上に幅をきかせているのが気になっていた。
                                              (次回に続く)
コメント (6)
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