森田実氏の何年ものエッセイを読んでいて、青山繁晴さんとは違って、民主党寄りになったこともある人だ。
しかし、人にレッテルを貼って、考えを盲目的に排除することは、もったいない話でもある。
次のエッセイを読んで・・・考えさせられた。
2006.10.31(その1)
森田実の言わねばならぬ[457]
マスコミを信用してはならない――日本のマスコミは政治権力と合体し国民を支配し圧迫する凶器と化した広告大独占企業「電通」は、政治的中立の立場をとるべきであり、時の政治権力の手先となって国民の政治意識を改造するような大それたことはやめるべきである。広告は政治的に利用されてはならない。政治権力によるコマーシャルを使っての政治的野望の達成を許してはならない。
「テレビは人間の考える力を失わせ、人間を愚かにする地獄の機械である」(ルイ=フェルディナン・セリーヌ)
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現代社会は「広告社会」であり、独占的な広告企業の影響力は絶大である。米国においては、この巨大な影響力を政治に利用している。日本も米国に従って政治に利用している。だが、広告は政治に使われてはならない。
2005 年6月頃のことだが、私は本欄において、ワシンシン、ニューヨークからの情報にもとづいて、「米国の保険業界が、日本の郵政民営化を実現するために、米国の独占的広告会社を通じて日本の広告代独占企業である「電通」に、日本国民が『民営化は善、官営は悪』と考えるようにするコマーシャルを依頼した。その金額は5000億円といわれている。この計画は実行された」と書いたことがあった。
この一文は大きな反響を巻き起こした。たとえばマスコミ界で働く友人からこんな電話がかかってきた。
「森田さん、電通はマスコミ界の王様。巨大な独占体。絶対者だ。電通に睨まれたら、テレビ局もラジオ局も新聞社も、ましてや個人は、みんなつぶされる。だから、誰も電通批判はしない。批判したとたんに首がとぶ。社会から抹殺される。森田さん、あなたはこれでお仕舞いだ。電通を名指しで批判した者は、マスコミ界にはいられなくなる。電通は絶対者なんですよ」。 テレビ局の友人からはこんな手紙がきた。
「森田さんのマスコミにおける言論活動には、これまで政府・自民党側からきびしい批判があったが、テレビ局内にも少数だが良心的ジャーナリストはいる。彼らは森田さんのような反体制的な発言も報道したいと思っていた。しかし、森田さんは『虎の尾』を踏んでしまった。電通批判をしたらマスコミの世界では生きていけない。これから森田さんに出演を依頼するテレビ局はなくなるでしょう。残念ですが、さようなら」。
もう一つのエピソード。最近、東北地方の某県に講演に行ったとき、地元テレビ局に出向している知人が訪ねてきた。彼は会うなりこう言った。
「よう! ただ一人電通批判をやった森田さん。森田さんは、テレビ界では『電通批判をやったただ一人の人』と言われているんです。電通批判以後、テレビ、ラジオ、新聞の仕事はなくなったでしょう。電通批判をしたらマスコミ界では仕事はできません。これからどうするんですか? それに森田さん、あなたは公明党・創価学会批判もしている。マスコミ界では創価学会批判はタブーです。マスコミでは電通と創価学会を批判したらダメです」。
電通批判をして以来、こんな話ばかりが私の耳に入るが、これが本当なら、マスコミは腰抜けばかりの世界だということになる。
広告企業が、広告を利用して国民を政治的にマインドコントロールしようとするのは、とんでもない大きな過ちである。国民の政治意識を、時の政治権力の意向に沿って操作し、政治の流れを決めることは罪悪である。広告は、政治的に中立でなければならない。
ベッラあとがき
森田実氏のエッセイはここで終わる。それよりも電通って???知らないことだらけである。
それも調べよう。また私のイヤな「街頭インタビュー」の謎?も書いてみたい、というよりもおおいに笑ってみたいのだ。
「総理大臣?誰がやってもいっしょでしょ?」・・・(いっしょじゃないよ!どうしてこんな言い方するんでしょうね)
「国会議員が被災地で暮らしてみたらいい、よくわかるから」・・・(政治の仕事は大切ですよ)
「大震災で大変な時に、政党の争いばかりして」・・・(大変な時なのに何もする気がない与党の肩を持つことになる)
・・・・・とまあ、こんなところでしょう。もう聴きたくないわ、この政権のどこが間違っているのか言いなさいよ!
では、また次回に続くが、断続的になるかもしれません。どうしてマスコミがこんなにひどくなったのか、調べたいとも思いますので。