金曜「アンカー」でおなじみの森田実さんのエッセイ。
これは被災地の知事や市長らのおもいあがった態度について書かれたものである。
平和・自立・調和の日本をつくるために [479]
《今日の論点(1)》指導者は謙虚でなければならぬ/傲慢不遜になった被災地の一部の県知事、市長にもの申す/被災者支援のために現地を訪問する民間企業人を見下すのはやめていただきたい/善意の自己犠牲的精神をもった民間企業の人々を疑わないでいただきたい
「すべての偉大な人々は謙虚である」(レッシング)
被災地の市長さん、町長さん、村長さんのご苦労を思うと頭が下がる。本当に大変なことだと思う。敬意を表する。
しかし、一部に勘違いをして威張っている知事、市長がいることは、看過すべきことではないと思う。
しばらく前のことだが、親しい芸術、芸能関係者からこんな話を聞いたことがある。
「被災者支援活動終了後に、某県庁に知事を訪ねました。車の中で二泊するかなりの強行軍でみんな疲れ切っていました。知事室に通され、副知事と会いました。知事が来るというので待っていました。かなりの時間待たされてから、知事が知事室に入ってきました。初対面なので立って頭を下げて、初めましてノと言いかけると肩を叩かれました。やあ、やあ、やあ、○○町の人たちは喜んでいたろう。やあ、やあ、やあ、よく来た、よく来た。ご苦労!と言うのです。上から人を見下す態度なのです。あまりの横柄な態度に同行していた家内が気分を害したのではないかと心配しました。この知事さん、何か勘違いをしていると思いました。被災地の知事がこんなにも傲慢になっているというのは困ったものです」
この、被災地の支援に行かれた芸術、芸能関係者は非常に高名な方である。立派な人である。知事よりも年長者である。某県の知事は非礼きわまりない態度をとったのだ。
私自身もこんな経験をした。被災地の某市長を表敬訪問したとき、二人の民間企業の社長の友人と一緒だった。二人はすぐれた技術を創り出すことに成功していた。この技術を被災地の復旧・復興に使ってほしいと陳情した。すると、その市長は一人の社長の発言を遮り、「昨日も某大学教授が新技術と言って売り込みにきた。毎日、毎日、そんな人がくる」と言って会を打ち切ってしまった。聴く耳を持たないのである。二人の友人は、役に立つならボランティア活動をしたいと考えて、被災地を訪問したのだった。こんなことでいいのか!と言いたい。
ほとんどの民間企業の人々は、被災地支援のため、何かの役に立ちたいと考えている。私の同行者も博愛精神に燃えている。しかし、某市の市長は、民間企業人は金儲けのために来たのだと思い込み、見下している。一部の県知事や市長は、芸能人のボランティア活動を芸能活動の一環程度にしか考えていないのかもしれない。そうではないのだ。みんな、被災地の人々を少しでも支援したいのだ。善意を素直に理解する器量がほしい。
ベッラあとがき
これは私も同感である。時々テレビに出演してふんぞりかえって横柄な物言いをする知事・市長・町長・村長がいるのを見て大変不快に思っていた。
森田さん、よく言って下さった。
そっくりかえった知事や市長その他の中に、それはないだろう、という態度をする、ふてぶてしいものの言い方、自分は代表者であるということを忘れてしまって烏合の衆のように、ケンカ腰にものを言う人もいる。
どんな態度をしても許される、という甘えと思い上がりがあるように思えてならなかった。
なるほど、こんなことがあったのか、「まさか」とはとても思えない、恫喝し土下座を強要させた人たちとそう変わらない。
大変なことはよくわかるが、そういった時ほど「人間の幅」が出るものだ。森田さんは「器量」と言っている。
俗に言う「器」のことだ。