TITTA RUFFO - 1920 - NEMICO DELLA PATRIA? - ANDREA CHENIER
Kenさまがカップッチッリやバスティアニーニよりもっと以前のティッタ・ルッフォについて書いていらっしゃったことを覚えている。
レオーネ(獅子)と絶賛された王者の風格がその歌から圧倒的に感じることができる。
このアリアの後半は聴きなれたはずなのに、ものすごいばかりの迫力でジェラールの心境を歌っている。
この曲をドナルド・キーン氏に・・・キーン氏は1942年に大学卒業すぐに海軍に編入されたとある。
ルッフォはキーン氏の本にもその名前は出てきていない。
後にレコードでお聴きになったということもない。実演はもちろん聴いていらっしゃらないだろう。
届くかどうがわからないけれど送ってみようと思う。
「あらえびす」(作家の野村胡堂)は、その著作に書いていると思うが・・・。
確認してみたくなった。
キーン氏にはKenさまの解説を付けてお送りしましょう。
私も本の感想を少し書きたいのです。それとお礼の気持ちを伝えたい。(東京都北区の名誉市民ですのでそこから転送頂けるのでしたら)
ティッタ・ルッフォ 偉大なる獅子
2010年12月26日 | 日記ルッフォに関する評伝をパリで見つけ、テンションが高い。
ティッタ・ルッフォはスキーパやカルーソーの同年代のバリトンでありながら、いまだかつてないバリトンである。一言で言えば、名指揮者セラフィンが述べたように、奇跡、というにふさわしい。
獅子の咆哮である、といわれたルッフォの声は、しかし、男の男らしさを歌ったというにとどまらない。その歌はきわめてデリケートなものだ。この、男ならではのつつしみ深さ(女性のつつしみ深さとは大きく異なる)をみると、その声にはかれの内心の想いは決して現れず、誇り高い歌唱フォームの向こうに透けて見える。
そしてそこにたまらない寂しさを感じる。エットーレ・バスティアニーニはルッフォからこのスピリットを継承した気がする。 (以上、Kenさまの解説、原文のまま)
Thank you Mr.Donald Keene. All japanese are very proud of you.(Ken)・・・ツイッターより
Kenさまがカップッチッリやバスティアニーニよりもっと以前のティッタ・ルッフォについて書いていらっしゃったことを覚えている。
レオーネ(獅子)と絶賛された王者の風格がその歌から圧倒的に感じることができる。
このアリアの後半は聴きなれたはずなのに、ものすごいばかりの迫力でジェラールの心境を歌っている。
この曲をドナルド・キーン氏に・・・キーン氏は1942年に大学卒業すぐに海軍に編入されたとある。
ルッフォはキーン氏の本にもその名前は出てきていない。
後にレコードでお聴きになったということもない。実演はもちろん聴いていらっしゃらないだろう。
届くかどうがわからないけれど送ってみようと思う。
「あらえびす」(作家の野村胡堂)は、その著作に書いていると思うが・・・。
確認してみたくなった。
キーン氏にはKenさまの解説を付けてお送りしましょう。
私も本の感想を少し書きたいのです。それとお礼の気持ちを伝えたい。(東京都北区の名誉市民ですのでそこから転送頂けるのでしたら)
ティッタ・ルッフォ 偉大なる獅子
2010年12月26日 | 日記ルッフォに関する評伝をパリで見つけ、テンションが高い。
ティッタ・ルッフォはスキーパやカルーソーの同年代のバリトンでありながら、いまだかつてないバリトンである。一言で言えば、名指揮者セラフィンが述べたように、奇跡、というにふさわしい。
獅子の咆哮である、といわれたルッフォの声は、しかし、男の男らしさを歌ったというにとどまらない。その歌はきわめてデリケートなものだ。この、男ならではのつつしみ深さ(女性のつつしみ深さとは大きく異なる)をみると、その声にはかれの内心の想いは決して現れず、誇り高い歌唱フォームの向こうに透けて見える。
そしてそこにたまらない寂しさを感じる。エットーレ・バスティアニーニはルッフォからこのスピリットを継承した気がする。 (以上、Kenさまの解説、原文のまま)
Thank you Mr.Donald Keene. All japanese are very proud of you.(Ken)・・・ツイッターより