ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

Corelli-Di Stefano - "Voce e notte" Famous Author De Curtis

2012年04月21日 | 歌曲
Corelli-Di Stefano - "Voce e notte" Famous Author De Curtis


夕方、boseのパソコン用スピーカーが届いた。
そして今、この曲を聴いている。
酔うのにワインもいらない、声だけで酔ってしまうのだ。

曲はクルティスの作曲による「夜に歌う」、昔の彼女が他の人と結婚、その家の前で彼女を思うせつない男の歌である。
これ、ストーカー???  いえいえ、夜そっと彼女の家の前で嘆き悲しんでいるだけ・・・結構怖い・・・
いいえ、歌はそこまで考えないもの、ロマンティックと思って聴く。

イタリアのカンツオーネはもともと男の歌であり、女性に振られて嘆く歌詞が多い、
しかし歌い手の声は輝かしく、素晴らしい音楽にしてきた。

今夜は1950年代にデル・モナコと「天下二分」した抒情的なテノーレ、ジュゼッペ・ディ・ステファノと、1960年代に活躍したドラマティックで輝かしい声のフランコ・コレッリが同じ曲を歌って酔わせる。

まず、コレッリ、続いてディ・ステファノ。(ディ・ステファノはカレーラスの師匠)
コレッリは高貴、ディ・ステファノは甘く優しい声、タイプが違う。
ナポリ語で歌われており、ディ・ステファノはナポリ出身でお手のもの。
コレッリの歌はカンツオーネを歌っても高貴でヒロイック。  ではどうぞお聴き下さい。



      【カルロ・ベルゴンツイ、コレッリを語る】

彼は沈黙のうちに、「ディーヴォ」として、82才でこの世を去った。それが彼の宿命だったのだ。
フランコ・コレッリは永遠に舞台を降りたが、幸運にも彼を生で聞くことの出来たすべての崇拝者の心の中では、生きている。
カルロ・ベルゴンツィのように、親しく接した同僚たちのことも忘れてはならない。
「最も偉大なテノールが亡くなった」とベルゴンツィは吐露した。「乗り越えがたい声の持ち主であり、洗練された潔癖な人物だった。現状に甘んじることができず、常に進歩しようとする、人々の模範となる人だった。よく互いにアドヴァイスし合ったものだ。彼はテクニックについて話し続けた。けして満足することなく、最大の努力を払っていたよ。
あの頃のオペラ界で、名を成すのは大変だった。多くの大歌手がいた時代だったからね。だが、コレッリの資質は、その中でも最高の部類に入っていた。
彼が引退を決めた時に、私は彼の家にあるスタジオを訪ねたのだが、彼は信じがたいくらいにやすやすと"誰も寝てはならぬ"を歌ってのけた。まるで小唄かなんぞを歌うかのようにね。そこで私は言ったものだ "なんで君はやめようとしているんだい?"」



4月21日のアクセス数 閲覧数:4,184PV

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石原慎太郎東京都知事 ワシントン演説(ノーカット:音声のみ)

2012年04月21日 | 政治
石原慎太郎東京都知事 ワシントン演説(ノーカット:音声のみ)


Yohkanさまのブログにiza1824さまがご紹介なさっていた動画を頂きました。
石原都知事の演説は2分30秒あたりからです。

コメント (7)
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【尖閣】政府マスコミ恃むにたらず、石原発言の真の意味[桜H24/4/19]

2012年04月21日 | 政治
【尖閣】政府マスコミ恃むにたらず、石原発言の真の意味[桜H24/4/19]


石原慎太郎都知事が米国で明らかにした「尖閣買い取り構想」。国民からは賛同の声が沸き上がっているが、一部言論人やマスメディアはこれを牽制するかのような論陣を展開し­ている。我々はこれらの中国に媚び諂う敗戦利得勢力を確と認識し、その上で、融和外交一辺倒で売国政策を繰り広げてきた戦後日本の罪を受け止めねばならない。そこに思い至­ったとき初めて、石原都知事の発言が「戦後レジーム脱却」の第一歩と成りうる事に気が付くはずである。今こそ何よりも「草莽崛起」の精神が必要とされていることをお話しさ­せていただきたいと思います。(動画の解説より)

感動的な動画である。
石原都知事に対してテレビのバラエティーニュースなど、「石原さんもそんなこと言う前にすべきことがあるでしょ!」などと、自分は頭がスッカラカンのくせして、意地悪いコメントをする女性コメンテーターなど、「不遜にも程がある」と怒りを感じた。今までの反省もなく、ケチだけつけるみっともないマスコミ。

また保守の顔をしていた「日本のラスプーチン」と言われたような佐藤氏など、この件でとたんに本性が見えたりするもの、石原発言は本質的なものを含んでいる、と水島氏。
しかし、日本の戦後の流れから、一般国民の考えは違ってきていることに気付いている中国、あの河村市長の「南京」発言から、この石原発言に、国民の多くは心ひかれていることに気がついているという。

水島さんは「政府恃むにたらず」と幕末の志士たちの考えを説明して、日本人の胆力を知らしめる。「義挙」・・・sengoku38氏こと一色さんの行動から、日本人の心を素朴に感動させていったことを思い、今の政治家・マスメディアなどの偏向や今までの政治のゆがみを痛感させられた。


[Arthaus 100956] WAGNER: Lohengrin

連日、ワーグナー「ローエングリン」を聴いていた。1940年代のスヴァンホルム、
1950年代のデル・モナコやビョルリンクなど、動画もブログにUpしてきた。
(上の動画はドミンゴ主演、アッバード指揮、ローエングリン登場の場)

この動画の場面は、エルザが弟殺しの疑いをかけられているのを助けたローエングリン、
人間であるエルザに「私に疑いを持つことなく、私の名前や出身を訊くことなく、信じる、ということができるか」と2度問いかける。
エルザはごく普通の人間、そして今は名を伏せているローエングリンは「聖杯」を護る聖人だったのだ。
エルザは誓うが、そのうちに魔女オルトルートの「なぜ名前も出身も明かさないのだろうね、何か言えない理由でもあるんじゃないか」とつぶやかれ、だんだん疑心暗鬼になっていくエルザ、これが人間の悲しさであり業なのだ。

やがて前にUPした「はるかな国へ」とローエングリンは帰っていく、絶望し悲しむエルザや人々、喜ぶ魔女オルトルート・・・。

ローエングリンが「英霊」とすれば・・・エルザは戦後教育を受けた上にマスコミ(魔女オルトルート)に影響され、神々しいローエングリンを全面的に信じると誓いながらもその脆弱な意志に未来永劫にわたって後悔する日々が待っている、ということ。

また、私もブログを続けていくことの中で、安易な言動をしたり、用心を怠ったり、悲しい人間エルザを経験していた。あさはかで情けない、このような反省に立って、弱い人間でありながらも、超えていくことへの意思を「ローエングリン」で感じたのだった。
ワーグナー「ローエングリン」に、心打たれる私であった。
そしてブログを続けていくにあたって、友人たちの暖かい励ましやご指導があったからこそと心から感謝している。(ベッラ)
コメント (4)
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