先日、「朝生」の討論会を久しぶりに見たのだけれど、後味が悪かった。
お笑い芸人が「こわもて」で人気を得る炎上商法といわれているが、私は日常ほとんどテレビを見なかったので「ウーマン村本」という芸人をはじめて知った。
ウーマン村本炎上 国民は国を守る義務がないのか?
ウーマン村本が朝ナマに続いてお花畑発言!上念司らスタジオ中をイラつかせる事態に!無知を晒した討論会
★ ところで衛星放送でバイロイト(ドイツ)のヴァーグナー「マイスタージンガー」を聴いた。演出が「贖罪」・・・。
こんな記事があった。(以下転載)
今夏、話題を集めたのはバリエ・コスキィの新演出による《ニュルンベルクのマイスタージンガー》
ワーグナーの楽劇の中でもいわく付きの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、主役の靴屋のマイスター、ハンス・ザックスに見られる国粋主義的なドイツ礼賛をヒトラーが愛好し、第二次大戦中にはナチのかぎ十字の旗がひしめく演出も登場した。戦後のバイロイトは、抽象的な舞台美を作り出すヴィーラントの演出で、政治色を一切つけずに、ナチ問題をくぐり抜けてきた。しかしコスキィは今回、歌合戦を舞台にするこの作品で、負ける書記・ベックメッサーをユダヤ人に設定した。
今回の演出は、ワーグナーに見られる反ユダヤ主義がナチを生んだと断罪する。昨夏の《パルジファル》の新演出では、イスラムのテロが取り上げられた。ヨーロッパがイスラム批判に集中することで、自らの反ユダヤ主義の歴史をすり替えていないか、とバイロイト自らが声をあげたと言えよう。
ただし、今回の演出は見た目に過激ではない。観客の多くは演出の意図よりも歌手の競演に目を向けたようだ。地元の新聞に載る一般の感想も多くは歌手の礼賛に向けられていた。事実、ザックス役のフォッレの深みと抒情(じょじょう)を併せ持つ声、ベックメッサー役のクレンツレの屈折した表現、対する若い騎士・ヴァルター役のフォークトの繊細な高音などにブラボーが集中した。指揮のジョルダンも幕が進むにつれ響きを深めていた。 (以上、毎日新聞)
https://mainichi.jp/classic/articles/20170815/dde/012/200/003000c
★★ 「今回の演出は見た目に過激ではない」と私も思ったが、ベックメッサーをユダヤ人に設定したようだ。
夜中に勝手に思い焦がれる美人のエーファの窓に向かって楽器をかき鳴らし恋心を歌ったベックメッサーを「うるさい」と住民たちが起きだして大騒ぎになる、ここを「嫌悪感を持った人々が暴力をふるう」という場にし、気味悪い憎しみの大きな絵が背景に大きく浮かび上がる。
ベックメッサーというのは口うるさい役人でヴァーグナーの自由な作風を批判した批評家のハンスリックであったはず。
むしろ「ユダヤ」系というのは、このオペラでは裕福で人格者の金細工師であるポーグナーではないのか。
このポーグナーはみんなから慕われている大人(たいじん)である。
私はかつてのヴィーラント(ヴァーグナーの孫)の演出で音楽そのものに感動し、背後に舞台装置がないのを「能」の演出に学んだと思われるもので、オーケストラの雄弁さと名歌手たちの織りなす滔々たる名唱に心うたれたものだった。
しかし今の歌手たちはかつてのスケールの大きさからは比べるべくもない、オーケストラも抑え、テノーレはまるでモーツアルトを歌うような繊細さで歌の緻密さを表現している。
私にとってヴィーラントの演出とかつての名歌手たちの「ヴァーグナー声」を、もはや過去のものとしてなつかしむだけだ。
「贖罪」という今のドイツの政治的立場は音楽の演出でもあり、現在のドイツの状況がこのような演出になったのか?
ドイツから帰国した日本人に伺ったところ、このへんは複雑な思いがあるようだ。
イタリアオペラやロシアオペラは伝統を護って音楽中心であるが、やはり歌手の力量が昔とは桁違いと感じる。
それはオペラだけでなく器楽のソリストもそうなのだ。(ベッラ)
Klaus Florian Vogt; "Morgenlicht leuchtend im rosigen"; Die Meistersinger von Nürnberg; R. Wagner
・・・今をときめくフォークトが繊細に歌った「マイスタージンガー」より・・・まるでモーツアルトを歌うような・・・先日聴いたのはこの歌手だった。
20世紀後半に美声を轟かせたジェームス・キング・・・この名歌手は時代に翻弄された偉大な歌手マックス・ローレンツの教えを受けたたことをインタビュー動画で最近知った。https://www.youtube.com/watch?v=oQKmK9EUAjc(3分35秒からローレンツのこの歌が聴けます。
また47分頃、晩年のマックス・ローレンツが弟子ジェームス・キングを語る)
ではジェームス・キングの素晴らしい声を!!
・・・これぞ「ヴァーグナー声」(ヘルデン・テノーレ、英雄的な声)近年このような品格ある堂々たる声の歌手が少なくなった。
James King "Morgenlicht leuchtend im rosigen Schein"