山岡鉄秀 慰●婦の嘘に日本はもう謝るな!K国政府が行ってきた異常性を暴露! 20170804 中山恭子「日いづる国より」
動画のコメントより転載
山岡様 素晴らしい御話を本当にどうも有難うございました。安倍総理は国民の為に立派な仕事もされていますが、青山繁晴氏の必死の直訴よりも外務官僚(谷内正太郎など)や外務官僚OB(岡本行夫氏か?)の薦めた日本国民に絶対に将来禍根を遺す選択をした。移民も毎年20万人(ほとんど中国人 韓国人)受け入れるとか、いい加減にして欲しい。日本の外務省はほぼ100%アメリカ政府の言いなりだが、日本国民の代表である総理大臣がしっかりしなくてどうするのだ!政治家の役割は日本国民にとってプラスになることをして、マイナスになることはしない。とにかく国民と国益を守る。こんな基本中の基本もわからないのか?日本の政治家には もう絶対に亡国に繋がるような政治は止めてもらいたい!(以上)
<ベッラの意見>
★ 山岡氏は大変重要なことを言っている。
たとえアメリカの前でも日本の立場にたってものをいうことが大切、そして慰安婦問題など外国にはハッキリとものを言わなければ伝わらないということ、むしろ危険ということであり、「日韓合意」も反対だったということ。
しかし山岡氏の言うことは当然のことであり、これが「なかなか言えない」状態であることがおかしいのだ。
相手の顔色をうかがい、それに「忖度」するようなふりで「事なかれ」になってはかえって軽蔑される。
こんなこと当然ではないか。私は安倍さんを信頼できない理由はそこにある、安倍一強、というのは国民の意見を顧みず、突っ走ったことであり、強力な安倍支持者たちはすべてを正当化し(実は苦しみながら)、安倍さんはますます傲慢な国会答弁をすることになった。
街のどこに行っても聴こえて来る中国語、或は韓国語。そして今まであまり見なかった東南アジアやイスラム風の外国人、決して旅行者ではない。日本に居住しているのだ。
★ 一方「ホシュ」を名乗る人たちにも恐ろしいのがいる。国を思うとは表向きの「セリフ」であり、その中身は「自分の為には手段を選ばず」「相手を恫喝する」というのがいる。「老舗偽ホシュ」などの文を読むと過去の偉い軍人やチャーチル礼賛など。
私は嫌悪感でいっぱいになる。こうした人たちが大小を問わずいっぱいひしめいている。
★ テレビで言いたい放題の野田聖子大臣、かなり鼻っ柱が強い。彼女は帝国ホテルの清掃係をやっている時に「私は掃除の手抜きをしていない」と便器の水を飲んだそうである。テレビではそれを誉めていたが、私には異常としか思えない。
掃除は「見てわかる」もので便器の水を飲んでまで実証するものではないと気味悪さに引いてしまう。
また河野外相はチャイナの王毅外相に言うべきことを言い、王毅氏からは「お父さんを見習って」となめたことを言われたそうな。
河野大臣は「中国こそ大国として振る舞え」と返答したそうだが。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170807-00050081-yom-pol
また韓国には「日韓合意」のことで強く迫ったというが、そういうことは新鮮に聴こえる。
今までの外務大臣・総理が言わなかったことだが、河野大臣はその姿勢を貫いてほしい。
しかし外国人参政権や移民その他もハッキリ言えるのか、問題は国内・党内で正論が言えれば「父親と息子は違う」と言えよう。
世間の耳目はなかなか厳しい。
河野氏は「おぼっちゃま」ではないような気がするが、日本の立場にたってモノを言えるのなら私も考えを改めてもよい。
三宅博先生のように「自分のことより日本」と考えを貫けるなら・・・である。
ブログのティールーム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7c/de/1a8437c9a1909910586b5e660c98f894_s.jpg)
ビゼー「カルメン」フィナーレ、これもイタリア語で歌っている。
歴史的な名演奏、ジュリエッタ・シミオナートのカルメン、マリオ・デル・モナコのドン・ホセ。
「カルメン」や「サムソンとデリラ」のような妖艶な役を歌うにはイタリアの声楽家はあまり合わない。
イタリアのメッツオ・ソプラノは、「アイーダ」のアムネリスや「ドン・カルロ」のエボーリのように、絶世の美女ながら自分の恋する男性には目もくれてもらえず、嫉妬と良心に苦しむ役を歌わせるとピッタリなのだ。
映画で言えばイタリアのメッツオ・ソプラノは「ソフィア・ローレン」的であり「ブリジッド・バルドー」タイプではない。
一方、純朴な青年ドン・ホセはカルメンに捨てられ嫉妬に我を忘れるが、もともと気弱な男である。
デル・モナコがカルメンを追う姿は「オテッロ」じゃないんだから!とつい思ってしまう。凄すぎるのだ。
Mario del Monaco & Giulietta Simionato - C'est toi C'est moi
・・・映像はだんだんクリアーになる。何しろ1956年の録画、存在しているだけでもありがたい。