★ 動画が削除されていたので、同じもうひとつの動画に貼りかえました。
内容は同じものですができるだけはやくご覧ください。
【堀潤×西部邁】最新ニュース速報 衆院選まで1週間!【衆院選特番】
ポーカーフェイスで大切なことを仰る西部先生の凄さ、西部先生は型にはまらず、それでいて政治的思考の本流で解説されている。
それが面白くて西部ファンになってしまった。
「走り書き」?
私はすっかり疲れ果てて今日は直接動画をご覧になってください。
この「口調」「言い回し」の面白さなど直接お聴きになって頂くのが一番です。
それにしても西部先生、面白すぎます。
・・・ベートーヴェンのピアノソナタ、「テンペスト」の楽譜。
★ 私が疲れ果ててしまった理由、それは古代ローマの護国の士のような方を、それも歴史的な国会質疑をされた中山成彬先生に対し、学問も人生経験もおありになる冷静であるべき高名な作家の方が非難の言葉を書いていらっしゃったこと。その言葉もあまりにもあまりで目に余る汚い表現だった。
私はおもわずその前に立つような気持ちでお諫めしたことだった。
(それに私はその作家の方の本のファンでもあった、しかしその方の文学作品は映画にもなったが、私はむしろその方のありったけの情熱で美しく書かれたクラシック音楽の評論集が好きだった。あれほどクラシック音楽を愛し、評論を書ける人は「音楽評論家」にもいない。)
その作家の方は悪い人ではない、むしろ面白いお方でよく人を笑わせ明るい性格だ。
しかしある時、あるタレントの夫人のことを本に書いてバッシングの嵐にあったとき、その素晴らしい音楽評論の本までついでに容赦なくけなされていたことがあった。
その時は私は一音楽家として「素晴らしい音楽評論」と高く評価して書き込んだことがある。
この時も私なりに勇気が必要だった。
人民裁判のようなネットの非難の嵐の中で、「これは素晴らしい音楽評論です」と書き込むことが私なりに大変勇気が必要だった。
その方から「ありがとうございます」と返信でお言葉を頂いた。
私は音楽家として当然のことをしたまでだった。
今回は私は音楽家としてではなく、一庶民として「罵詈雑言をなさる立場になられた」ことをお諫めしてしまった。
ネットの暴力は恐ろしい、1対1ではなく無自覚に大勢で袋にする。
私は決して強い人間ではないが「これは・・・」と思って・・・。
そして私はネットによくある失礼極まりない「老害」とか「~じゃん」などの下品な言葉に対し、拒否反応がある。
チンピラのような言葉が「正論」を掲げるかのように大手を振って歩き、一般の人が怖くて書き込めないような状況を憂いている。
美しい日本語とまでいかなくてもごく普通の日本語でと願うばかりだ。
日本人はいつからこのような手段で人を貶めることになったのか・・・。
ブログのティールーム
尊敬するヴェルディ・バリトン、カップッチッリ。
ジョルダーノ作曲「アンドレア・シェニエ」から・・・貧しい家に生まれたジェラールはフランス革命で人々を救えると思い、革命に身を投じた。
しかし、待っていたのは狂った人民裁判で人々を死に追いやる日々、革命で人々に愛をと思っていた自分を後悔し、涙する。1985年ミラノ・スカラにて録音録画されたもの。
名歌手カップッチッリが歌う「祖国の敵!!」
Piero Cappuccilli - Nemico della patria 1985
・・・・・・特に後半の素晴らしさは他の歌手の及ぶところではない。
・・・写真は三宅博先生の主催で「救国講演会」産経の加藤氏らと。素晴らしい講演会だった。