現代日本にカリスマはあらわれるのか―TOKYOMX西部邁ゼミナール「ドタバタ喜劇の総選挙」
スラップスティック!どたばた喜劇の総選挙、「不倫」に「ハゲ」といった政治家の言葉遣いと振る舞いの乱れ、まさに政治の紊乱は、戦後日本の民主主義の本質なのか。
情があり人を引っ張る指導力は、世界史で比べてもトップクラスだった西郷隆盛。たった一度の戦争に負け、戦勝国による見せしめである東京裁判をいつまで引きずるのか。全体主義によって偉大だとされる独裁者が最後に遂げる悲劇的な死。人間は言葉を持ってから演劇やドラマのような物語を演じている。今後の国家がどうなってゆくのか、歴史感覚・未来感覚を持つこと、国民の「sense」が大きく問われている危機の時代のリーダー論。(動画の解説)
★「走り書き」・・・(もともとの「動画の解説」が興味をひきますし、西部先生、しみじみとお話をされています。西郷さんの肖像画はご本人かどうかわからないそうです。しかし目が「黑水晶」のようであったと。)
見せしめで相手を滅ぼさなければならなかったこと・・・西洋が日本を裁く「東京裁判」は見せしめの儀式だった。それに日本人が平伏したと。
インドのパール判事は日本を弁護してくれたのではない。白人がやった植民地支配は酷いものだった。いかにひどいものであったか。お話が続きます。身震いするほど酷いイギリスのインドに対する仕打ち、言語によってますますひどくなる。大衆と訳すより「mass」(マス)である。
先の選挙、漫画家でもないが笑ってしまった。
選ぶと言ってもアホを選ぶ、選ぶ方の半分はアホだから。選ばれた人もたいしたことはないと知っている。やがて舞台でひっくり返るだろうと。ドタバタである。「このはげ~」とかやっているし。
自分で「偉大だ~」と言いながら大量殺人をする毛沢東やスターリン、実は偉大ではなかった。トランプさんじゃねえ~。
人間は言葉を持ってから言葉によってたぶらかされる。未来感覚を持っていないとね。(あと略)
★ 隔月誌「表現者」、クライン孝子氏の論文、2回ほどお休みだったが今回は寄稿されていた。ドイツの激動を目の当たりにされたクラインさんの文はぜひ読むべきと思った。他の評論家は到底書けないような凄い内容だった。命をかけた論文である。
ブログのティールーム
本日は古代バビロニアの歴史、ヴェルディ作曲「ナブッコ」からアッシリアの王ナブッコがユダヤ王国を占領する。これがやがて歴史に有名な「バビロン捕囚」になる。ナブッコの娘はふたりおり、奴隷にうませた長女アビガイッレ、そしてユダヤ王国の捕虜である本妻の娘フェネーナ、女戦士アビガイッレは情け容赦なく降伏を促す。
アビガイッレを歌うソプラノはドラマティックな激しさを表現しなければならない。この役を歌うソプラノは世界的にも数少ないし、喉を傷めてしまう歌手も続出だった。マリア・カラスでさえ、この役から遠ざかったほどである。このyoutubeではカラスの再来といわれたギリシャの名歌手、スリオティスがマリア・カラスを彷彿とさせるほどの声の技量を示している。ナブッコを歌うのは歴史的名バリトンのティト・ゴッビ。
Tito Gobbi & Ensemble "Tremin gl`insani" Nabucco
「ナブッコ」の正式な名前は「ナブコトノゾル」、「ナブッコ」はイタリア語読みで、かつてイラクのフセイン大統領は「私は現代のナブコトノゾルだ」と話していたのを新聞で見た。中東の歴史は連綿と繋がっているのかと。