【A宮家関連】お受験に関して複数内部情報きた 篠原常一郎氏
推薦で合格は12月に決定しているが、筑波は厳しいので他の推薦で合格している人も一般の試験を受けることになっている、ということ。
一般テストで推薦合格者の合否は決めない。
一般入試だったら「併願」は必要でしょう、という声が多い。
提携校推薦入試は「単願」が条件。入学してから困らないようにということらしい。
筑波の教育全体を総括されている方は「中高」が基本で中学は高校のレヴェルまで進んでいるので、推薦で合格した人も「課題」を出している。
筑波付属を卒業した人たちの話では卒業までの1年は自分で勉強を計画する。共産党の小池さんも優秀だった。(東北大の医学部に入学)
こんなことをテレビで出して試験に向かうというのはマスコミを刺激する・・・「憶測でものを言って」とマスコミ・世間を批判したA宮家。
いろんな意見はあると思うが、姉のМ子氏のことからH殿下にもしわ寄せが行っている。
一般入試だったら何年も苦労して勉強してきた人。国立であってもA宮家のものではない。
公務員は国民に仕えるものだ。それをはき違えている人が多くいる。
М子氏の結婚も辞表を胸に止めるべきだった。(以上)
H親王、合格発表日は16日!KN庁はしっかりとした説明を!
気になるのは「報道について」注意するように971庁は言ったのになぜ特定のテレビ局だけに、筆記試験当日会場に向かうニュースを許可したのだろう・・・詳しいことはわからないが、気になる。
それとW女史(皇室ジャーナリスト)の発言がひっかかる。
最近、SNSも固有名詞その他、書きにくくなった・・・
独ウクライナ首脳会談 高まる緊張、にじむ対ロ配慮 2022年2月15日 5:29
【ベルリン=石川潤、モスクワ=桑本太】ドイツのショルツ首相とウクライナのゼレンスキー大統領が14日、キエフで会談した。ロシアがウクライナに侵攻した場合には「かなり広範囲の効果的な制裁」(ショルツ氏)に踏み切ると警告したが、会見の言葉の端々からはロシア側への配慮も読み取れる。ショルツ氏は15日、モスクワでプーチン大統領と会談する。
「オープンドアの問題は我々にとって物語であり、夢かもしれない。いつ私たちが目的にたどり着けるのかは誰にも分からない」。ゼレンスキー大統領はプーチン氏が反対する北大西洋条約機構(NATO)加盟について聞かれると、こう答えた。
ウクライナのNATO加盟阻止は、プーチン氏が掲げる目標のひとつだ。ゼレンスキー氏は「我々がNATOに加盟したいのは明らか」とも語り、加盟を目指すという旗は降ろしていない。ただ、当面の棚上げはやむを得ないとも受け取れる発言だ。
隣に並んだショルツ氏は「加盟は実際には議題になっていない。議事日程に上がっていないことをロシアが政治問題にしているのはいささか奇妙だ」と冷ややかに話した。同盟選択の自由という原則を強調しながらも、ウクライナのNATO加盟は差し迫った問題ではないとの認識をにじませた。
独ウクライナ首脳会談 高まる緊張、にじむ対ロ配慮: 日本経済新聞 (nikkei.com)
★ 北野幸伯氏の文ですが、どうなのでしょうか。
ついに内部崩壊か。全ロシア将校協会がプーチンに辞任要求の衝撃
ウクライナ侵攻の結果は?
そしてイヴァショフは、「ウクライナ侵攻」がなぜダメなのか解説します。
第1に、国家としてのロシアの存在を危ういものにする。第2に、ロシア人とウクライナ人を永遠の敵にしてしまう。第3に、ロシアとウクライナの若くて健康な男性が、数万人亡くなる。
さらに興味深いことに、イヴァショフは、NATOが結局ウクライナ側に立ち、ロシアに宣戦布告する。ロシア軍はNATO軍と戦うことになると予測しています。
さらに、ロシアは間違いなく平和と国際安全保障を脅かす国のカテゴリーに分類され、最も厳しい制裁の対象となり、国際社会で孤立し、おそらく独立国家の地位を奪われるだろう。
イヴァショフは、ウクライナ侵攻によってロシアは「独立国家の地位を奪われる」としています。
それはともかく、国際社会で孤立し、厳しい制裁によって、ロシア経済がボロボロになることは間違いないでしょう。
ウクライナ侵攻、真の目的は?
ここからが興味深い。
イヴァショフは、プーチンも政府もロシア国防省も、これらの結果を理解しているとしています。悲劇的な結果を理解しているのなら、なぜロシアの大軍はウクライナ国境に集結しているのでしょうか?イヴァショフさんの結論は、衝撃的です。
- 指導者たちは、国をシステム危機から救うことができないことを理解している
- それ(システム危機)は、民衆の蜂起と政権交代を引き起こす可能性がある
- 指導者たちは、新興財閥、腐敗した官僚、マスコミと軍人、警察、諜報機関の支援を受け、ロシア国家の最終的破壊、ロシア国民を絶滅するための政治路線を活性化させる決定をくだした
このことと「ウクライナ侵攻」のつながりは?
- 戦争は、しばらくの期間、反国家的権力と、国民から盗んだ富を守るための手段だ。われわれは、他の説明を提示することができない。
そして、全ロシア将校協会は、プーチンの辞任を要求しています。
どうでしょうか?イヴァショフさんの見解が正しいのか、私にはわかりません。しかし将校を束ねる協会が、プーチン政権をこのようにみているという事実は重要でしょう。
プーチンが辞めるかどうかはともかく。ウクライナ侵攻がなくなり、平和が維持されることと願います。
ウクライナ侵攻をもくろむプーチンの「本当の狙い」はどこにあるか
1989年、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊。その後、「東欧民主化革命」が起こるが、ソ連はこれを黙認している。そして1990年には「東西ドイツを再統一しよう」という機運が高まっていった。
東ドイツは当時ソ連の勢力圏にあったため、米国はゴルバチョフに「東西ドイツ統一を許可するか」と尋ねた。
これに対し、ゴルバチョフは許可のための一つの条件を提示した。
「NATOを統一ドイツより東に拡大しないこと」だ。
そして米政府は、それを快諾した。
その後、1991年12月にソ連が崩壊し、冷戦が終結。
新生ロシアの時代がはじまると、米国はゴルバチョフとの約束をあっさり破った。
1999年、東欧のチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟した。
3国は、かつてロシア(ソ連)の勢力圏にあった国々だ。
ロシアは、大きな衝撃を受けた。
そして2004年、同じく東欧のスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、スロベニアがNATOに加盟。
さらに、この年にはバルト三国、つまりリトアニア、エストニア、ラトビアも加盟している。
バルト三国は、かつてソ連の一部だった。
ロシア人は「ソ連=拡大ロシア」と考えている。
そのため、バルト三国のNATO加盟は、「かつて自国の一部だった地域が反ロシア軍事同盟に参加した」と受け止められた。
当時すでに大統領だったプーチンは、この時からずっと、約束を破った米国を憎んでいるのだ。
冷戦崩壊時、反ソ連軍事同盟のNATO加盟国は16カ国だった。それが今では、30カ国まで拡大している。しかも、米国には拡大を止める気がなく、今度はロシアの西の隣国で旧ソ連国のウクライナ、南西の隣国で同じく旧ソ連国ジョージアをNATOに加盟させようとしている(ただし、「今すぐ加盟させる」という話にはなっていない)。
これが実現すると、ロシアとNATOの間に「緩衝地帯」がなくなってしまう。
<iframe id="google_ads_iframe_/8631689/dol-article-middle_0" tabindex="0" title="3rd party ad content" role="region" name="google_ads_iframe_/8631689/dol-article-middle_0" width="1" height="1" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" aria-label="Advertisement" data-google-container-id="2" data-load-complete="true"></iframe>これは、ロシアにとって大きな脅威となる。
プーチンは、言う。
「ウクライナがNATOに加盟すれば、モスクワを5分でミサイル攻撃できるようになる」と。
そう考えれば、プーチンの憤りにも「一理ある」といえる。
現在、中国による台湾侵攻の可能性が取り沙汰されている。
プーチンは、「米国は、中国との戦いに資源を集中させたいはずだ。ウクライナまで手が回らない」と考えたのだろう。だから、「今なら米国から譲歩を引き出せる」と。
ここで言う「譲歩」とは、「ウクライナをNATOに加盟させない法的保証」のことだ。
「この要求をのめばウクライナに侵攻しないが、のまなければ侵攻するぞ!米国は、ロシアと中国、両方と戦えないだろう」と。
昨年12月8日、バイデンとプーチンのオンライン首脳会談が行われた。
さらに今年1月10日~13日にかけて、米ロとNATO-ロシアの協議が開かれた。
しかし、合意には至っていない。つまり、米国もNATOも、「NATO不拡大の約束」をしなかったのだ。
理由は、「NATOに加盟するかどうかは、ウクライナ自身が決めるべき問題だから」だ。
2008年8月、ロシア・グルジア戦争が勃発。勝利したロシアは、その後グルジアからの独立を目指すアプハジア、南オセチアを国家承認したのだ。
今回も、ロシア軍は、ウクライナ軍との戦いに勝利し、その後ルガンスク、ドネツクを国家承認する可能性がある。
そして、「両国からの要請」ということで、ロシア軍が常駐し、ルガンスク、ドネツクを前線基地として、ロシアは常にウクライナとの緊張を保つことになるだろう。
ロシアの目的は何か。
NATOには、「集団防衛義務」がある。
もし、ウクライナがNATO加盟国となり、ロシアと戦闘になれば、他の加盟国は自動的にロシアと戦争状態に突入する。
だが、ロシアとの戦争を望む欧州諸国はないだろう。
つまり、ロシアがルガンスク、ドネツクを使ってウクライナとの緊張を保つことで、ウクライナのNATO加盟を阻止できるというわけだ。
ウクライナ侵攻でロシア経済は大打撃
一方、米国は、どう動いているのか?
米軍もNATO軍も、ウクライナ軍と共にロシアと戦うつもりはない。
理由は、ウクライナがNATO加盟国でないからだ。
つまり「集団的自衛権」の対象ではない。
しかし、米国は、すでに大量の武器、弾薬をウクライナに送っている。
そして、バイデンは、ロシアがウクライナに侵攻すれば、「まだ目にしたことがない制裁を科す」とし、また、「ロシアの銀行は、ドル取引ができなくなる」とも述べている。
この脅しに、効果はあるのだろうか?
実をいうと、クリミア併合後の欧米日による経済制裁は、かなり効果があった。
ロシアは2000年から08年まで、年平均7%の経済成長を続けていた。
しかし、クリミアを併合した2014年から2020年まで、制裁の影響で、成長率は年平均0.38%まで落ち込んでいる。
プーチンがウクライナ侵攻を決断すれば、より強力な経済制裁が科され、ロシア経済は壊滅的打撃を受けるだろう。
侵攻の結果、ウクライナは領土の一部を失う。
だが、ロシアは世界的に孤立し、経済は破綻しかねない状況となる。
まさに「LOSE-LOSE」だ。
プーチンが愚かな決断を下さないことを願う。
全文は ついに内部崩壊か。全ロシア将校協会がプーチンに辞任要求の衝撃 - まぐまぐニュース! (mag2.com)
「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和四年(2022)2月15日(火曜日)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウクライナから大量のユダヤ人が出国した
オデッサからイスラエルへの帰国便は満員
****************************************
ウクライナのオデッサからユダヤ人が大量に出国している(エルサレムポスト、2022年2月14日)。
学校では留まるように教師等が説得しているが、すでに150家族はイスラエルに向かった。
ベングリオン空港の到着風景がイスラエルの新聞を大きく飾っている。
以下は拙著『日本が全体主義に陥る日』(ビジネス社)から、このオデッサ訪問旅行記の半分ほどを抜粋した。
▼ウクライナの中で、飛びぬけて自由と繁栄を享受する港町=オデッサ
オデッサは「黒海の真珠」と称される美しい港町だ。横浜市と姉妹都市の関係を結んでいる。
一九〇五年の戦艦ポチョムキンの反乱は、このオデッサで起きた。
ソ連映画史に輝く名画「戦艦ポチョムキン」は一九二五年に制作され、世界中の注目を浴びた。
ついでに書いておくと世界的ベストセラーとなって映画化もされたフレデリック・フォーサイスの『オデッサ・ファイル』はこの港町とは無縁でリガでのユダヤ人虐殺を命じたナチス高官を追い詰めるジャーナリスト、それを妨害するナチス残党の眼に見えない組織の名称である。
黒川祐次(元ウクライナ大使)は『物語ウクライナの歴史』(中公新書)のなかで次のように書いている。
「オデッサは古代黒海北西岸にあったギリシア植民都市オデッソス(ギリシア神話の英雄オデッセウスから来た名)にちなんで名づけられた。
オデッサは一七九四年、エカテリーナ二世の勅令にもとづいて建設され、一八一七年に無税の特権を得てから目覚ましい発展を遂げた。そして一八六五年オデッサとポディリア地方を結ぶウクライナ最初の鉄道が敷設され、穀物の内陸輸送が可能となるとその発展に拍車がかかった。
一八四七年には全ロシアの穀物輸出の半分以上がオデッサ港からなされた。まさに穀倉とオデッサ港は表裏の関係にあった。(中略)ロシア帝国にとって世界への南の窓であった。
コスモポリタンな都市で、輸出業はギリシア、イタリア、ドイツ、ユダヤの商人たちによって行われていた。その他トルコ人、アルメニア人、西欧・東欧の諸民族が雑多に住んでいた。同じ正教徒ということでギリシア人の数は多く、トルコからの独立運動の拠点になった。ユダヤ人の数は次第に増加し、ロシア革命直前には市の人口のほぼ半分を占め、ロシア・東欧のユダヤ世界の中心となった」。
そのオデッサ、今や人口百万人という大都市の礎を築いたのは女帝エカテリーナ二世だった。
この偉業を讃え、市内には彼女の巨大な銅像が建っている。
二〇一四年から始まったウクライナの内戦はまだ終結したわけでなく、首都キエフから東側、ロシアに近いほど治安は不安定。むしろ無法地帯然としている。
四半世紀前に首都のキエフを訪れたことがある。ちょうどビル・クリントン大統領(当時)の訪問直前だったため宿泊したホテルのバーには先乗りしていたSPが陣取り、アメリカの歌を唱って陽気に騒いでいた。西側に急傾斜するウクライナに対して、なす術もなく拱手傍観したエリツィン政権のロシアをよそに街は「米国大統領訪問」という祝賀ムードにあふれていた。
(いよいよ経済繁栄と自由がやってくる)
広場は喧しい音楽と踊りで浮かれ、オペラ座も満員。人々は全身で喜びをあらわし、次々とシャンパンの栓を抜いていた。
▼オレンジ革命の♪「夢は儚く消えて」。。。。
その夢ははかなく潰えた。
「オレンジ革命」から大した時間も経たないうちに、東部の分離独立機運がにわかに勃興し、ヤヌコビッチ大統領はロシアへと逃亡した。そしてロシアから投入された「民兵」と衝突、ロケット砲を撃ち合い、戦車を繰り出す内戦の日々が始まった。プーチンは「ロシア軍は関与していない」と否定しつつ民兵に間断なく軍事的支援を続けた。
一時休戦がなったのはサルコジ(フランス前大統領)の調停によってであった(後注 マクロンが廊下鳶を演じるもサルコジの真似だが、五月大統領選挙を控えているためでもある)。
こんな状況だからウクライナ渡航はさぞ難しかろうと身構えていたのだが、意外や日本人はビザ不要、航空便はヨーロッパ各地から、そして中東諸国からも多数就航している。筆者はイスタンブール経由便を撰んだ。
ユダヤ人の街として交易で栄え、映画の舞台にもなったオデッサは経済的繁栄を謳歌している。
オデッサではオペラ座の向かい側に建つ老舗のモーツアルト・ホテルに投宿した。ここから港へ向かって歩けば数分で観光名所「ポチョムキンの階段」へ行ける。
世界的に有名になったその階段を目当てに、次から次へと観光バス、馬車、マイカー、リムジンが到着し、記念写真を撮っている。
白人も黒人もヒスパニック、ラテン系の人々、本当に世界中の人種が勢揃いしたような印象である。港からフェリーで着いた客用にはケーブルカーも設置されている。広場は年中フェスティバルが開かれているような賑わいである。キャラクターの風船売り、大道芸人、トランペット吹き、手品師、綿菓子。記念写真屋、カメラ。。。。。。
(とても同じ国の東側で内戦をしているとは思えないなぁ)
波止場の突端まで二十分ほど歩くと、黒海クルーズを愉しむことができる。一時間=五百円。黒海沿岸をひと回りするのだが、デッキまで鈴なりだ。出航し、コンテナヤードを経て沖合へ一〇分も出るとアルカディアという有名な海水浴場に至る。まぶしい太陽の下、ビキニ姿の老若男女が日光浴を楽しんでいる。
岸辺の緑の中に豪華別荘群、リゾート・マンション、いまも建設中の高層マンションが林立して見えるではないか。これにはいささか驚いた。
「貧困のウクライナ」というイメージとはかけ離れた眺めだ。
▼街の繁栄、シナゴールの静寂
デリバスィフス通りは「オデッサの銀座」だ。両側にグッチやディオール、モンブランなどのブランド店も軒を競っているが、歩道いっぱいに陣取るカフェ、さまざまな意匠をこらしたエスニック・レストランが魅力的だ。
それぞれが入り口にユニークな看板を掲げ、覗いてみようかと興味をそそられる。ウクライナ料理だけでなく評判の高いグルジア、海賊の伝統調理のバルト料理、ボルシチとピロシキが売りのロシア料理。
なぜか値段の高いフランチ・レストランもある。
なかでも店数の多いのがイタリア・レストラン、そしてオデッサにもやはり「寿司バー」がある。水たばこの店も。しかし世界中で共通の中華料理とコリアン・バーべキューは見かけなかった。
▼ウクライナ語に翻訳された日本人作家は?
間口の狭いレストランでも、一歩中に入ると中庭があってそれが結構広いのだ。これは旧東欧に特徴的で、とくにベラルーシ、モルドバだけではなくポーランドでも建物の間口は狭いのに内部は奥深い。
中庭には緑の木立、噴水、公園にはベンチが並び、中国伝統建築の四合院のような建築思想に縁っているようだ。
この広い中庭にテントを広げて、テーブル席が設えられている。
書店で「日本人作家のものはありますか?」と店員に話しかけてみた。
女性店員はすぐに三島由紀夫と村上春樹のコーナーへ案内してくれた。
滞在三日目、駅まで六キロほど歩いた。
猛暑の中、汗びっしょりになりながらカリフォルニア通りを左折し、シナゴーグ跡へ向かった。
冷戦時代までユダヤ人街だったこのオデッサの下町はユダヤ人が去ってからは極度に寂れ、貧困のにおいが漂っている。ゴミも多く、街の風景がくすんで見えた。ユダヤ人たちは大挙してイスラエルと欧米諸国へ移住した。
モスクワ、キエフと繋がる鉄道のオデッサ駅はいかめしく頑丈なつくりでロビーもオペラ劇場かと見まごうほどに堂々たる意匠で、広々としている。
その駅前には乞食、宗教団体の宣伝隊、レストランのチラシ配りに交じって、近郊へ向かうバスの呼び込みの声が飛び交って賑やかだ。
オデッサには歴史館、民族展示館、美術館に加えて文学館が驚くほど多い。(隣国モルドバの首都)キシニウと並んでオデッサにもプーシキン記念館がある。
都を追われたプーシキンが一年間、オデッサに滞在した経緯がある。
□○◎○☆み○◎○や○☆△○ざ☆○◎☆◎き◎△☆□
★ 楽しい百田氏の「新版・日本国紀」
百田尚樹の新版・日本国紀 #4「邪馬台国はどこにあったか?」
ブログのティールーム
Maria Yudina plays Beethoven Sonata No. 14 , Op. 27, No. 2 "Moonlight" (1/2)
あのスターリンもソ連最高の女流ピアニストの演奏に涙した。しかしユーディナは超女傑で無頼だった。
「イオシフ・ヴィサリオノヴィッチ。私はあなたのために日夜お祈りするでしょう。あなたが人民と国家に対して犯した大罪を、神がお許しくださるように」
リヒテルやギレリスもユーディナの演奏から学んだという。ショスタコーヴィチとは音楽院からの友人だった。