「天皇陛下万歳」の精神主義的な玉砕思考がどのように育って行ったのかを、第1次世界大戦時の小川未明や徳富蘇峰の思想に始まり、アジア・太平洋戦争時に至る石原莞爾や中柴末純といった帝国陸軍軍人の思想を辿りながら、探る。2012年5月発刊。平易な口語体で書かれているが、とても読み応えのある一冊だった。
「昭和の軍人たちは何を考え、一九四五年の滅亡へと至ったのか。 天皇陛下万歳! 大正から昭和の敗戦へ――時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人はなぜ神がかっていったのか? 皇道派 統制派、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕……。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、近代日本のアイロニカルな運命を一気に描き出す。」(本書の内容紹介より)
第1次世界大戦を機に、圧倒的な物量戦が戦争の勝敗を決する時代を迎えた中で、当時の軍人たちは、持たざる国である日本が取るべき道を考えた。「強い相手とは戦争はしない」という前提(密教)を置きつつ、殲滅戦思想という顕教を押し出し、「統帥綱領」「戦闘綱要」につなげた荒木貞夫や小畑敏四郎。「持たざる国」を「持てる国」にしようと考え満州に注目した石原莞爾。そして、『明治憲法体制が、軍なら軍、内閣なら内閣、議会なら議会の、強力な意思や明確なヴィジョンの展開・実現を阻む構造を有していた』(p225)と筆者は言う。こうした思想や体制が、未完のファシズムとして、持たざる国である日本を滅亡に導いていったのである。
アジア・太平洋戦争に至る日本近現代史については、政治史、経済史の切り口で何冊か読んできたが、思想の観点からこの時代を読み解く書は、私には初めてで新鮮だった。思想だけでは世の中動かないだろうし、私自身はその思想(メッセージ)を普及、拡大、浸透させたシステムやメディア、メッセージを受容した国民の方が関心があるが、それにしても、思想が持つ影響力や思想の根っこを探るのは純粋に興味が湧いた。現代の日本の状況に応用できる箇所もある。
ただ、1度通して読んだだけでは、本書の意味合いが十分に理解できたとは言い難いと思っている。個々の思想については分かった気にはなったものの、その思想間の関連性や思想の受発信の仕方などは詳しく記述されているわけではないので、どうも自分自身の中で落ち着きが悪い。また、思想のコンテンツそのものでも未だ理解できないところがある。『実は玉砕そのものが究極の戦法である。玉砕は「持たざる国」日本の軍隊の極め付きの戦法である』(p282)という中柴末純の論理構成などは、まだ良く分からない。
似たようなテーマを扱った本を何冊か読んでみて、更に理解を深めたい。賢くなった気になる本である。