『古くからロンドンにあるテンプル教会は、クリーム色のカーン石で全体が作られている。強い印象が与えるその円形の建物は、ものものしいファザード、中央にそびえ立つ小塔、片側に張り出した身廊を備え、礼拝の場というよりも軍事要塞の趣を備えている。一一八五年二月十日にエルサレム総主教ヘラクレイオスによって献堂されて以来、ロンドン大火や第一次世界大戦といった動乱のなかを八世紀余りにわたって生き延びてきた。ただ一度、第二次大戦中の一九四一年にドイツ軍の空爆でひどい損傷を受けたが、戦後の修復によってその荘厳な外観を取りもどした。』
(ダン・ブラウン著、越前敏弥訳『ダ・ヴィンチ・コード(下)』p59より)
コッツウォルズから戻って、再びロンドン巡り。テンプル教会は、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで是非行きたかったところです。在住時に行こう行こうと思いつつ、週末は休みだし、平日も不定期な時間しか開いてなかったので、結局、行けずじまいだったのです。『ダ・ヴィンチ・コード』を持参して、念願の訪問となりました。
私のほかには二組の観光客がいるだけでした。非常に簡素で、装飾を廃した内部は、教会としては際立った特徴は感じられませんでした。正面のステンドグラスは、フェアフォードで見たものよりも、細やかで色も艶やか。
『ダ・ヴィンチ・コード』の舞台はむしろ後方にある円形の間。
「十体の石の騎士。
左に五体。右に五体。
等身大の彫像が、仰向けの安らかな姿勢で床に横たわっている。騎士たちは鎧一式に盾と剣といういでたちで忠実に再現されており、まるで眠っている隙に何者かが忍び込んで石膏で固めたかのような、不気味な印象を与える。彫像はどれも風化が激しかったが、一体一体にはっきりした特徴があり、武具の細部や、腕と脚の位置、顔の表情、盾の模様などが異なっている。」
(『ダ・ヴィンチ・コード(下)』p67)
《石の騎士たち(1)》
《石の騎士たち(2)》
《上から見た円形の間》
加えて、興味深かったのは、教会内で「マグナ・カルタ」から「権利の請願」、「権利の章典」、「アメリカ合衆国独立宣言」に至るまでの原典写しやその解説の展示があったことです。知らなかったのですが、今年は1215年のマグナカルタから800年の記念年なのですね。マグナ・カルタを突きつけられたジョン王にとっては、ロンドン塔が東の本部(Headquarter)であったのに対して、テンプルが西の本部だったそうです。それもあってか、テンプル教会は「LONDON MOTHER CHURCH OF THE COMMON LAW」とロンドンのコモン・ローの聖地を名乗っています。なので、こういった企画をやっているのかもしれません。錆びついた世界史の教科書の知識を思い起こしながら、展示を追うのは、ちょっと賢くなった気分にしてくれます。
このテンプル教会があるテンプル地区は、極めて不思議なところです。ミドルテンプルとインナーテンプルという2つの法曹学院(Inns of Court)からなる特別地区らしいのですが、その敷地内に入ると、FleetStreetのバスや車の騒音が幻だったように、突然、静寂な空間が訪れます。こんなロンドンのど真ん中に、こんな静かなところがあるなんて、
まさに別世界。街中の喧騒につかれた時には是非、お勧めします。
《テンプル地区の地図》
《フリートストリートからの入口。狭いです。》
《法曹院の人たちのよう》
2015年8月11日
(ダン・ブラウン著、越前敏弥訳『ダ・ヴィンチ・コード(下)』p59より)
コッツウォルズから戻って、再びロンドン巡り。テンプル教会は、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで是非行きたかったところです。在住時に行こう行こうと思いつつ、週末は休みだし、平日も不定期な時間しか開いてなかったので、結局、行けずじまいだったのです。『ダ・ヴィンチ・コード』を持参して、念願の訪問となりました。
私のほかには二組の観光客がいるだけでした。非常に簡素で、装飾を廃した内部は、教会としては際立った特徴は感じられませんでした。正面のステンドグラスは、フェアフォードで見たものよりも、細やかで色も艶やか。
『ダ・ヴィンチ・コード』の舞台はむしろ後方にある円形の間。
「十体の石の騎士。
左に五体。右に五体。
等身大の彫像が、仰向けの安らかな姿勢で床に横たわっている。騎士たちは鎧一式に盾と剣といういでたちで忠実に再現されており、まるで眠っている隙に何者かが忍び込んで石膏で固めたかのような、不気味な印象を与える。彫像はどれも風化が激しかったが、一体一体にはっきりした特徴があり、武具の細部や、腕と脚の位置、顔の表情、盾の模様などが異なっている。」
(『ダ・ヴィンチ・コード(下)』p67)
《石の騎士たち(1)》
《石の騎士たち(2)》
《上から見た円形の間》
加えて、興味深かったのは、教会内で「マグナ・カルタ」から「権利の請願」、「権利の章典」、「アメリカ合衆国独立宣言」に至るまでの原典写しやその解説の展示があったことです。知らなかったのですが、今年は1215年のマグナカルタから800年の記念年なのですね。マグナ・カルタを突きつけられたジョン王にとっては、ロンドン塔が東の本部(Headquarter)であったのに対して、テンプルが西の本部だったそうです。それもあってか、テンプル教会は「LONDON MOTHER CHURCH OF THE COMMON LAW」とロンドンのコモン・ローの聖地を名乗っています。なので、こういった企画をやっているのかもしれません。錆びついた世界史の教科書の知識を思い起こしながら、展示を追うのは、ちょっと賢くなった気分にしてくれます。
このテンプル教会があるテンプル地区は、極めて不思議なところです。ミドルテンプルとインナーテンプルという2つの法曹学院(Inns of Court)からなる特別地区らしいのですが、その敷地内に入ると、FleetStreetのバスや車の騒音が幻だったように、突然、静寂な空間が訪れます。こんなロンドンのど真ん中に、こんな静かなところがあるなんて、
まさに別世界。街中の喧騒につかれた時には是非、お勧めします。
《テンプル地区の地図》
《フリートストリートからの入口。狭いです。》
《法曹院の人たちのよう》
2015年8月11日