彩の国大学の3日目の講座は有益で、考えさせられる事が多かった。
午前の化学物質についての講義は聞けば聞くほどツケを後世の世代に残している思いを深めた。パンプレットの第一にうたっているのが「化学物質は私たちの便利な生活をささえています」という言葉だ。現代人が快適な生活を送るための副産物が有害物質として発生する。それを完全にシャッタアウトする技術は開発されず、少なくすることが精いっぱい。自分たちに跳ね返ってくる事を極力少なくするだけで後世への配慮は遅れがちだ。
さいたま環境科学国際センターの近くを流れる星川にかかる堰
午後は 廃棄物管理 持続可能な社会を求めて ー江戸と現代の比較ーのタイトルだったが話術が巧みな講師で講義に引き寄せられた。
講師自身は技術屋だが循環型社会を考えるには歴史の面から掘り起こす事が必要との思いを強くしているとの話で始まった。そして原発については30年後までツケを残すだけで否定されるに必要十分な条件だとの自身の思いも述べられた。
星川沿いに多く見られたコシロノセンダングサ
当初15万人だった江戸の人口は17世紀半ばには100万人に膨れ上がり、家に近い堀や川、あるいは空き地などにごみを捨てていたのが川などの本来の機能を失わせて、一大社会問題となり、1655年に江戸幕府はゴミを永代嶋に捨てる決定をしたという。この事は埋め立てに至る種々の分業化、組織化を招来し現代に引きつがれてきているようだ。
15時30分頃だったがホシアサガオは花開いていました
現代に於ける循環型社会の実現には3R(Reduce,Reuse,Recycle)に加え、江戸時代のRefuse(不要なものは買わない)、Repair(修理して使い続ける)が必須なのだと主張されたと思うがこれにはもろ手を挙げて賛成だ。