★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

存在の不思議

2016年08月04日 23時34分33秒 | 徒然(つれづれ)
 自分というものは、どこから来てどこへ行くのだろう、という素朴で根源的な疑問。
 私は今年62歳になるので、62年前には確実にこの世に存在していなかった。
 そして、長生きするとしても、たぶん30年後には存在していないだろう。
 
 しかしこの世界は62年前にも存在していたし、30年後にも存在しているだろう。
 世界とは、自分以外のすべてだ。
 自分を主体とすれば、それ以外は、主体が認識(これを主観とも言えそうだ)している客体だ。
 主体があっての客体とも言えそうだ。
 主体が消滅すれば、それが認識していた客体も消滅するはずだ。
 
 主観とか自意識というものが、消滅する、無になるということは、どういうことだろう。
 単純にそれを死というのだろうか。
 そもそも主観とか自意識と言うものに実体はない。
 実体がないものは、なくなりようもないのではないか。
 
 それらが脳に依存しているとすれば、脳死が主観や自意識の消滅とイコールだろう。
 しかし、果たして脳に依存しているのだろうか。
 脳はただ単に、それらの中継地点ではないのだろうか。
 主観や自意識は、脳を含む肉体とは別のところから来ているのではないだろうか。
 たとえば、宇宙とか異次元とか。そして肉体が滅びた後も存在し続けるのではないだろうか。

 股関節の置換手術で全身麻酔の経験がある。
 意識がなくなるのを認識して、一瞬の後に目覚めた。時間は1時間40分ほど経過していた。
 死というのも、これと同じようなものではないだろうか。
 死を認識して、すぐに目覚める。しかしそこは別の世界だ。以前の記憶もない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする