ランニングでもなくジョギングでもない。
散歩でもなく、通勤や通学における徒歩でもない。
ましてや徘徊などでもない。
それは何かといえば、ウォーキングである。
ランニングやジョギングのようにハードでもなく、散歩のように気の向くままでもなく、通勤通学のように義務でもなく、徘徊のように悲惨でもない。
老化防止、運動不足の解消という確固たる目的があり、決まったコース、距離を歩き、スマホのヘルスアプリで日々チェックし、なおかつサボるとプチ罪悪感に苛まれる、マストルーチンだ。
年頭から始めたウォーキングは3ヵ月目に入り、もはやマグロの泳ぎと化した。
泳ぎをやめたらマグロは確実に死んでしまう。
ウォーキングもしかりだ。
やめたら運動不足になり、老化が進み、寿命が縮まるのは確実だ。
余程のことがない限り、もうやめられない。
しいていえば、通勤の義務のようなものかもしれない。
これは年金引きこもり生活で、運動嫌いの私にとってはまことにいいことだ。
しかし一抹の不安がある。
ウォーキングの最中右足に痺れと痛みが発生するのだ。
尻から太腿、ふくらはぎにかけて鈍痛が起こり、足先に正座のあとのような強烈な痺れが出るのだ。
インターネットで調べると、脊柱管狭窄症の症状に酷似している。
今のところ我慢すれば歩けないことはないので、7月の左の人工股関節の定期検査の時に医師に相談することにしよう。
散歩でもなく、通勤や通学における徒歩でもない。
ましてや徘徊などでもない。
それは何かといえば、ウォーキングである。
ランニングやジョギングのようにハードでもなく、散歩のように気の向くままでもなく、通勤通学のように義務でもなく、徘徊のように悲惨でもない。
老化防止、運動不足の解消という確固たる目的があり、決まったコース、距離を歩き、スマホのヘルスアプリで日々チェックし、なおかつサボるとプチ罪悪感に苛まれる、マストルーチンだ。
年頭から始めたウォーキングは3ヵ月目に入り、もはやマグロの泳ぎと化した。
泳ぎをやめたらマグロは確実に死んでしまう。
ウォーキングもしかりだ。
やめたら運動不足になり、老化が進み、寿命が縮まるのは確実だ。
余程のことがない限り、もうやめられない。
しいていえば、通勤の義務のようなものかもしれない。
これは年金引きこもり生活で、運動嫌いの私にとってはまことにいいことだ。
しかし一抹の不安がある。
ウォーキングの最中右足に痺れと痛みが発生するのだ。
尻から太腿、ふくらはぎにかけて鈍痛が起こり、足先に正座のあとのような強烈な痺れが出るのだ。
インターネットで調べると、脊柱管狭窄症の症状に酷似している。
今のところ我慢すれば歩けないことはないので、7月の左の人工股関節の定期検査の時に医師に相談することにしよう。