朝のウォーキングコースの大半は幹線道路に面した街並みだ。
街並みといっても繁華街などではなく、地方都市然とした町並みという感じだ。
それでも幹線道路だけあり、交通量はそこそこ多い。
人通りもそこそこで、いたるところから車の音や話し声はもちろん、工事の音やBGMなどいろんな生活音がそれなりの喧騒や活気を醸し出している。
その喧騒の中を歩いていると、自身も風景の一部と化し、誰にも声をかけられることもなく、黙々と我が道をゆくという感じだ。
まわりの景色は八ミリ映画のように、無意識のうちに目に入っては後ろへ流れていく。
そんなウォーキングの途中、まれに奇妙な静寂が訪れる時がある。
信号待ちで幹線道路の車が止まり、交差する細い道は車の往来がほとんどなく、偶然人通りも途絶え、あたりをしばしの静寂が支配するのだ。
最近の車は騒音対策のためかアイドリング音がほとんど聞こえない。
それまでの喧騒がピタリと消え、静止画のようにまるで時間が止まってしまった感覚に捕らわれる。
喧騒が突然の静寂に変わると、その落差に知覚は過剰に反応する。
しんと静まり返った風景が、異世界に紛れ込んだような錯覚を喚起させる。
ものの5秒ほどの時間だが、最初にその瞬間に出くわした時は、一瞬、自分の耳が聴こえなくなったのか、このまま続いたらどうしようと、一抹の不安もよぎったものだ。
その静寂は絶妙なタイミングが必要なので、なかなか出くわすことはないが、今朝、久しぶりに遭遇した。
今はちょうど季節もエアポケット状態で、そんな時に時空のエアポケットに遭遇すると、自分が「世にも奇妙な物語」の主人公になったみたいで、不思議な陶酔感に包まれる。
街並みといっても繁華街などではなく、地方都市然とした町並みという感じだ。
それでも幹線道路だけあり、交通量はそこそこ多い。
人通りもそこそこで、いたるところから車の音や話し声はもちろん、工事の音やBGMなどいろんな生活音がそれなりの喧騒や活気を醸し出している。
その喧騒の中を歩いていると、自身も風景の一部と化し、誰にも声をかけられることもなく、黙々と我が道をゆくという感じだ。
まわりの景色は八ミリ映画のように、無意識のうちに目に入っては後ろへ流れていく。
そんなウォーキングの途中、まれに奇妙な静寂が訪れる時がある。
信号待ちで幹線道路の車が止まり、交差する細い道は車の往来がほとんどなく、偶然人通りも途絶え、あたりをしばしの静寂が支配するのだ。
最近の車は騒音対策のためかアイドリング音がほとんど聞こえない。
それまでの喧騒がピタリと消え、静止画のようにまるで時間が止まってしまった感覚に捕らわれる。
喧騒が突然の静寂に変わると、その落差に知覚は過剰に反応する。
しんと静まり返った風景が、異世界に紛れ込んだような錯覚を喚起させる。
ものの5秒ほどの時間だが、最初にその瞬間に出くわした時は、一瞬、自分の耳が聴こえなくなったのか、このまま続いたらどうしようと、一抹の不安もよぎったものだ。
その静寂は絶妙なタイミングが必要なので、なかなか出くわすことはないが、今朝、久しぶりに遭遇した。
今はちょうど季節もエアポケット状態で、そんな時に時空のエアポケットに遭遇すると、自分が「世にも奇妙な物語」の主人公になったみたいで、不思議な陶酔感に包まれる。