★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

友よ、また会おう

2024年05月16日 11時34分49秒 | 徒然(つれづれ)
 人付き合いが億劫な、引きこもり年金生活の私にも、友人と呼べる人間はいる。
 逆に、友人のいない人間は稀なはずだ。

 自分には友人がいない、と言う人間もいるけど、知人や親しい人間はいるはずだよね。
 それさえもいない、と言っても、子供の時や若い頃には少なからずいたはずだ。

 人それぞれに友人の定義があり、いわゆる、親友や刎頸の友だけを友人とする人間もいれば、学校や会社、近所で親しく言葉を交わしたり、何かを一緒にやったことのある人間でも友人と呼ぶ人間もいるよね。

 私の友人の定義は、知り合ってから、長く断続的に付き合いのある人間だ。
 そういう友人は、環境の変化があった時に知り合った人間だ。

 例えば、大学入学当初や就職当初に知り合い、卒業や異動、転勤などでブランクはあっても、現在も付き合いが続いている連中だ。
 それはめぐりあわせというか、縁と言えるかもしれないね。

 もちろん、学校や会社で知り合い、数年間親しく付き合っても、いつの間にか疎遠になっている人間のほうが多い。
 去る者日々に疎しというやつだ。
 
 友人とは、付かず離れずの、気の置けない連中で、会って一献傾ければ、話も弾むし、昔に戻れる仲だ。
 歌の文句じゃないけど、また会う約束などすることもなく、それじゃあ、またなと別れる仲だ。
 たぶん、それが終生の友と言えるかもしれないね。


ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだよね。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もするしね。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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老いるということ

2024年05月16日 11時02分29秒 | 徒然(つれづれ)
 今年古希を迎える私は、世間でいうところの前期高齢者、すなわち老人だ。
 老いた人と書いて老人だけど、未だに老いというものを実感できないんだよね。

 老いの入り口を還暦とするならば、古希は紛れもなく老い真っ只中だ。
 人生双六なら、幼年、少年、青年、壮年と来て、老年で上がりだ。
 若年や定年、晩年などもあるけど、それはまた意味が違うみたいだね。
 
 もちろん歳は取ったけど、それを老いと言うにはまだ違和感がある。
 体力や記憶の衰えなど、いわゆる老化現象は経年変化であって、老いるということとは微妙に違う気がする。

 年齢は老いのひとつの指標だけど、同い年でも老いの進行には違いがある。
 主観と客観でも老いの認識に差がある。
 自身の老いを客観視するのは難しい。

 よって、主観で言うと、同時代を生きた有名人や芸能人の訃報に触れた時に、自身の老いを実感するんだよね。 
 老いというのは、感動や好奇心、自尊心や羞恥心の減少、要は生に対する執着の放棄、すなわち諦めかもしれない。

 私はまだその境地には至っていない。
 端から見れば老人かもしれないけど、心はまだ30代のつもりなんだよね。
 

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