★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

解散後のビートルズ

2025年02月07日 10時39分45秒 | 徒然(つれづれ)
1970年4月、ポールの脱退宣言による事実上のビートルズ解散。
 田舎の高校1年の私にとっても、それは衝撃的な出来事だった。

 いつかは再来日して生の演奏を聴けるという望みも、はかなく砕け散ったものだ。
 今後はレコードでしか聴けないという思いと、それぞれがソロとして、どこまでビートルズに迫れるかという思いで複雑な心境だった。

 当然、彼らの初期のソロの楽曲も聴いたし、ビートルズ時代と比べている自分がいた。
 本人たちは、ビートルズのテイストを残したかったのか、そこから脱皮したかったのか、私にはわからなかったけど、よくも悪くも、ビートルズの名残りは随所に見られた。

 しかし、それは名残りであって、もはや4人が一体となっていたビートルズ・サウンドではなかった。
 そこにビートルズを聴いていた時のワクワク感はなかった。

 ビートルズ・ファンの多くは、解散後のメンバーの楽曲もビートルズ同様、愛聴しているようだ。
 高校生の私は、彼らのソロ作品にはビートルズに対するほどの思い入れや特段の興味もなかった。

 後年、ジョージの唯一の来日公演やポールの日本公演では、ビートルズ・ナンバーも演奏したけど、それがファンサービスなのか、ビートルズの呪縛の一環なのか判然としなかった。
 まだまだビートルズという十字架を背負っているし、まわりもそう見ていたはずだ。
 ビートルズの偉大さは、メンバー個人では超えることなどできるはずもない。
 
 先日、リンゴのニュー・アルバム『ルック・アップ』を聴いた。
 良し悪しや好き嫌いは別として、楽曲の数々は、ビートルズのテイストが完全に払拭されていた。

 カントリー風味の楽曲のほとんどは、演奏時間も短く、シンプルで懐かしい雰囲気に満ちていた。
 それを聴きながら、ビートルズで一番影の薄かったリンゴが、唯一ビートルズの呪縛から解き放たれたというのが個人的感想だ。

ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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