★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

スーパースターの功罪

2021年08月13日 16時14分33秒 | 徒然(つれづれ)
 大谷翔平スーパースター。
 昨日は38号ホームラン、今日は投手で7勝目、どこからどう見てもスーパースターだ。
 このまま順調にいけば、50本塁打、130打点、10勝には到達可能だ。

 アメリカでの人気は、日本でのそれをはるかに上まわっているようだ。
 日本では、侍ジャパンの金メダルや阪神タイガースの優勝(?)より、アメリカではメジャーリーグのペナントレースの行方より、大谷個人の成績に観客は一喜一憂だ。
 
 逆にいえば、ひとりの選手がメジャーリーグを席巻している、もっといえば凌駕している異常事態だ。
 大谷を観るために、それまで野球とは縁がなかった層まで球場に足を運び、テレビやネットのニュースを見ている。

 野球は元来チームプレーだ。
 チームとして戦う中に優勝というゴールがある。

 その中でいろんな思いがけないプレーや感動的なドラマが生まれる。
 プロフェッショナルならではの卓越した技や、玄人好みの微妙な駆け引き、ゲームメイクの妙が見られるのが野球の醍醐味だ。

 それが今や、大谷のホームランや勝ち星に観客の興味は絞られた感がある。
 ひとりの超越した選手が、これまであった野球のさまざまな楽しみを、なくしているような気がしてならない。


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簡単に総括

2021年08月11日 12時45分55秒 | 徒然(つれづれ)
 総括という言葉を知ったのは、約半世紀前の連合赤軍あさま山荘事件の時だ。
 その前の学生運動の時には使われていたものの、他の専門用語と同様に聞き流していた。

 辞書で引くと、物事をひとつにまとめ、締めくくること、とあった。
 学生運動に限らず、人生においても、いろんな場面で、連綿と続く現在を過去のひとつとして、終着させ訣別するために総括は必要だ。

 社会人になり、学生気分を払拭するために学生時代の総括をした。
 私にとっての学生時代とは取りも直さず大学の5年間だ。
 親元を離れひとり暮らしを始め、社会人になる前までの、所謂、モラトリアム期間だ。

 そこで実感したのは、親はなくとも子は育つ、人生は自分の意思のままに、ということだ。
 親からの金銭的援助や、物事を進めるにあたっての障壁はあったものの、思い描いた人生が狂うことはなかった。

 定年退職をして、会社員時代を今総括しても、そのことは言える。 
 大学を一留して卒業し、小さな会社に入社した時も、ここでは終わらないという思いは常にあった。

 5年半後に転職した会社は、あれよあれよという間に一部上場企業という大樹に急成長した。
 寄らば大樹の陰、親方日の丸的な考えは、なんやかや言っても、マジョリティの中流階級には当てはまるものだ。

 仕事は前の会社に比べて楽チンで、給料は1.5倍以上だ。
 別に仕事の手を抜いていたわけではない。
 人並みにやっていても、自身のキャパの7、8割で事足りたのだ。

 大樹の陰に入ったのだから、管理職よりも上の昇進や出世を望む欲もなかった。
 平穏に定年まで勤め上げればよしと考え、ほぼその通りになった。
 なんの後悔もないし、会社には少なからず感謝の念を抱いている。
 
 

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真夏の夜の怪談

2021年08月10日 23時02分04秒 | 徒然(つれづれ)
 トイレの便器や洗面台を、いつも汚しては家内に叱責されている。
 汚した時にはトイレットペーパーやティッシュで拭いて、自分なりにはOKサインのつもりでいるのだが、家内の点検はより厳しい。

 今日も歯を磨こうと洗面台の前に立ち、下を見ると髪の毛が落ちていた。
 その細さや長さから、私のではないし、これは家内に指摘してやろうと鬼の首でも取ったような気分になった。

 しかし、待てよ、家内はショートカットのはずだ。
 それにしては落ちている髪の毛は長すぎる。25、6cmくらいはありそうだ。

 目を近づけて見ても、それは確かに髪の毛だ。
 もちろん私のものでも、そして家内のものでもないと思われる。

 久しく家に客を入れたこともない。
 東京の娘が帰省したのも1年以上前だ。

 不思議に思っているその時、一本の髪の毛が風に吹かれたように、ユラユラと私の目の前に落ちてきた。
 背筋に冷たいものを感じ、恐る恐る目を上げて天井を見ると、そ・こ・に・は・・・・・・。


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餃子は王将に優るものなし

2021年08月10日 18時55分23秒 | 徒然(つれづれ)
 オリンピック選手村の食堂の餃子を、外国選手が大絶賛したらしい。
 曰く、こんな美味しい餃子、生まれて初めて食べた。
 生涯で一番の餃子だ。
 これだけで日本に来た甲斐があった。

 しかし、よくよく聞いたら、それはなんと味の素の冷凍餃子だ。
 笑止千万。
 私も過去にその評判を聞いて食べたことがあるが、正直言って、王将の餃子には遠く及ばない。

 外国人の味覚は、はっきり言ってどうかしてるぜ。
 まあ、日頃、餃子など食べる習慣もない彼らだけに、その称賛は話半分に聞くべきだろう。
 
 冷凍というだけで、食欲は萎える。
 それを素人が家庭のガスコンロの火で作るのだから、プロが作る餃子に優るわけがない。

 試しに外国選手に王将の餃子を食べさせたら、それこそ、その絶品の味にひっくり返ることだろう。

 餃子の王将を謳うだけに、その餃子は比類なき旨さだ。
 50年近く、飽きずに食べ続けている私が言うのだから間違いない。

 当然、王将以外の、上手いと言われる餃子も食べている。
 その経験を以って断じている。
 王将の餃子に勝てる餃子があるのなら、ぜひお目にかかってみたいものだ。
 

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ふるさとの話をしよう

2021年08月10日 11時40分33秒 | 徒然(つれづれ)
 私のふるさとは、九州の西の辺境の小さな漁村だった。
 海と山に挟まれた、端から端までは400mほどの細長い土地に民家が密集していた。

 祖父の家は漁師の家系で、私の父親はその家の7人兄妹の三男坊で、漁師を継ぐことなく、小学校の教師となり、本家の近所に世帯を設けていた。
 そこが私の実家だ。

 漁村ということもあり、毎日の食卓には魚介類が並んでいたが、私はそれが嫌いで、おかずはソーセージや卵やふりかけだった。
 家のすぐそばが海だったので、夏休みは毎日泳いでいた。

 波止場の防波堤の内側が小さな港で、中小の漁船が係留されていて、それらを義経の八艘飛びよろしく飛び移って遊んだりした。
 新しい漁船の船おろしの時には、家の棟上げの時と同じように、船から餅撒きが行われた。
 ちいさな紅白の餅の中に、当たりは十円玉や五円玉が入っていた。

 防波堤の外側は砂浜で、そこが子供の僕らの海水浴場だった。
 その砂浜で、春には潮干狩りもできた。
 波止場のまわりには、一面に干し魚が吊るされ、磯の臭いを強烈なものにしていた。

 海に飽きると、野山を駆け巡って遊んだ。
 夏休みの昆虫採集にはもってこいだった。

 僕らの社交場は、観音様前の雑貨屋兼駄菓子屋だった。
 店内のラジオから流れる歌謡曲や大相撲中継を聴きながら過ごしたものだ。

 観音様の階段の前には毎週紙芝居のオッちゃんが来ていた。
 僕らは酢昆布や水飴を食べながら、階段に座って紙芝居を観ていた。

 そんな日々が、子供心に永遠と思われるくらい続いた。
 しかし永遠にも終わりはあるのだ。
 それに気づくのはまさしく歳をとってからだ。

 永遠の終わりとともに、あの懐かしいふるさとの風景も、おぼろげな記憶の中でしか見ることはできなくなった。
 

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アサガオの花

2021年08月10日 11時02分49秒 | 徒然(つれづれ)
 ウォーキングの途中でとある家の前でアサガオを見つけた。
 形ばかりの低い竹の柵に蔓を巻き付け、健気に咲いていた。

 子供の頃、梅雨の前になると、父親が山に細い竹を切りに行き、持ち帰った竹で竹垣を作っていた。
 縁側と塀の間に、軒まで届くほどの高さに細い竹を組み、アサガオとヘチマの種を植える。
 それが毎年夏前の恒例行事だった。

 梅雨が明けて夏休み前には、竹垣一面にアサガオとヘチマは蔓を巻き付け、赤青黄色の花を咲かせる。
 私にとっての夏の花といえば、ヒマワリよりもアサガオだ。
 アサガオの成長記録もつけたし、絵日記にも描いた。

 夏休み中はちょうどいい具合に、茂った葉が遮光すだれの役目を果たしてくれる。
 夏休みが終わり、台風シーズンの前になると、祖母がヘチマの実を刈り、日光に干して乾かし、台所の流しや風呂のスポンジ代わりにしていた。
 アサガオの種は来年用に保存していた。

 そんな情緒的な夏の風物詩も、昨今はとんと見かけなくなった。
 久しぶりに見かけたアサガオの花を、私はしばし座って眺めていた。


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天気晴朗なれど風強し

2021年08月09日 14時02分23秒 | 徒然(つれづれ)
 雨雲レーダーを確認して、雨を避けてウォーキング決行。
 日が照らない分涼しく歩ける。

 人出や交通量が少ないと思っていたら、今日は振替休日だ。
 今年はオリンピックのせいで、休日が不規則だ。

 時折晴れ間も覗くが、台風の影響か風強し。
 店頭の駐輪場の自転車が軒並み倒れていた。
 しかし台風本体は、例によって見事に大阪を避けて通っている。

 ガストでブランチも、緊急事態宣言を遵守してアルコールの提供中止。
 コンビニ前で喫煙しようと思ったら、風が強く、霧雨が頬を打ち、結局最後まで吸えず。

 高校野球が明日に順延で、我が故郷の佐賀県代表校の試合が見られず。

 オリンピックも終わり、IOCは総理と都知事に五輪功労章を授与するようだが、どのツラさげて受章するのだろう。
 それこそ名古屋の市長にガブリとかじってもらいたいものだ。
 
 

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五輪終(ご臨終)

2021年08月08日 13時45分39秒 | 徒然(つれづれ)
 いろいろと物議を醸したオリンピックも今日が最終日だ。
 ご臨終ならぬ、五輪終だ。

 開催前は、コロナ禍での強行開催や関係者のトラブルを、ここぞとばかりに報じていたマスメディアも、いざ開催されると、手のひら返しで日本選手の活躍を報じまくっている。
 関係者の過去の醜聞を掘り返していたのが、メダリストの過去は美談仕立てで誇張しまくる。笑止千万だ。

 このオリンピックで目立ったのが、日本選手の金メダル本命候補のあっけない敗退と伏兵の台頭だ。
 特に柔道は、オリンピックでもない限り、その名が世に知られることもなかったであろう伏兵の台頭が顕著だ。

 本命候補は前評判に浮かれて慢心や油断があったのか、それとも単なる下馬評だったのか、はたまた対戦相手がそれを上まわる練習量をこなして、決戦に備えていたのか。
 いずれにしてもメダルの数では開催国の面目は保ったものの、本命の不在という内容は残念だ。

 菅総理もなりふり構わず開催という大目標は達成したが、秋の選挙対策や、現状のコロナの感染爆発における対策という難題が立ちはだかっている。
 コロナ対策批判派や五輪反対派は、選挙による政権交代を声高に叫んでいるが、それが投票に反映することはなく、結局は今後も自民党中心の政権は続いて行くのだろう。

 延命を果たした政権は、コロナ対策は画期的、効果的な策が望めない以上、ワクチン頼みの消極策で、のらりくらりと自然収束を座して待つのみだ。
 今後の日本、自分の生活は自分で守るしか道はない。
 ほとんどの国民は口には出さないが、コロナ禍において、そのことを十分に実感しているはずだ。

 昭和の時代の鶴田浩二の「傷だらけの人生」の一節が甦る。

 今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。


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年金生活者になって

2021年08月05日 19時40分36秒 | 徒然(つれづれ)
 定年退職後、再就職はせずに、すでに2年半の引きこもりの日々を過ごしている。
 収入は年金と家内の内職の稼ぎだ。
 それでなんとかやっていけている。

 その年金は長年の労働の対価の一部を、老後のために積み立てたものだ。
 しかし労働というか、仕事をしたという実感はほとんどない。
 ただ単に会社に行って、大して難しくもない、いわばルーチンをこなしていただけだ。

 それで普通に給料を貰え、人並みに管理職まで昇進したのだから、一応、仕事にはなっていたのだろう。
 学校に行ってとりあえず授業を受けて、試験では平均以上の点数を取っていたようなものだ。
 それで最低限の生活を維持できる年金を貰えているのだから、不思議な気がする。

 若い頃は、自分が年金生活者になるとは夢にも思わなかった。
 祖母が老齢年金をもらっていたのを子供心に記憶していて、年金生活者イコール老人という認識だった。

 今やその私が年金生活者であり老人だ。
 年金生活者というのは甘受せざるを得ないが、老人というのにはまだまだ抵抗がある。
 いつになったら、自分を老人と認識するのだろう。
 
 

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新陳代謝のためのウォーキング

2021年08月05日 13時26分19秒 | 徒然(つれづれ)
 若い時は何かにつけて活動的で、身体は無意識のうちに活発な新陳代謝を行なっているものだ。
 しかし歳をとるにつれて、動くのが億劫になり新陳代謝が低下する。
 すると当然のように肉体は老化のスピードが速まる。

 新陳代謝とは、いわずもがな、古いものが新しいものに入れ替わること、人間の身体でいうと、細胞の入れ替わりだ。
 部位により異なるが、胃腸の細胞で約5日、肌の細胞で約28日、骨の細胞で約3ヵ月の周期で入れ替わるという。
 要は、人間3ヵ月で別人に変身するのだ。

 私にとって、その周期を維持するための最低限の活動が日課のウォーキングだ。
 定年退職以降、コロナ禍も相まって、人との付き合いもほとんどなくなり、外出することが極端に減った。
 それは取りも直さず、新陳代謝の低下に直結する。

 ウォーキングをすることにより、酸素の吸入量、水分の補給量が増え、汗や尿などで老廃物の排出が促進され、新陳代謝が高まるのだ。
 炎天下のウォーキングで、滝のように流れる不快な汗もそれを思えば、エアコンの効いた部屋で終日ゴロゴロしているより、健康にはプラスに作用しているはずだ。

 実際に大量の汗をかき、大量の水分を補給することにより、心なしか肌のツヤがよくなってきたように感じる。
 また歩くことにより、足腰の衰えをさほど感じなくなった。

 マグロが泳ぐことをやめたら死ぬように、人間も歩くことをやめたら、老化して死期が早まるのは当然か。
 当分、朝の日課のウォーキングはやめられない。
 

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エアコン点けずにいられない

2021年08月03日 21時01分58秒 | 徒然(つれづれ)
 日課のウォーキング、特に夏場はその暑さが堪える。
 帰宅直後は、歩いている時よりも、全身から汗が噴き出す。

 何はともあれ、まずは書斎のエアコンをオンだ。
 手早く洗顔、うがいをして、ハーフパンツに着替える。

 時間にして2、3分だが、その頃には5畳ほどの書斎は、完全に北国の冬状態だ。
 特にエアコンから吹き出す冷風は冷蔵庫の涼しさだ。

 団扇しかなかった子供の頃の昔と比べると雲泥の差だ。
 家電製品の技術革新は数あれど、エアコンの冷房ほどそれを体感できるものはない。
 テレビや洗濯機、冷蔵庫や掃除機など、その進化には目を見張るものがあるが、それを実際に肌で感じ、気分がよくなるものはエアコンだけだ。

 子供の頃から家庭を持つまで、暑さを凌ぐのは昔ながらの扇風機くらいだった。
 温度を下げることによって、それを可能にしたのがクーラーでありエアコンだ。

 当初はアイドリングに時間を要したが、今はほとんど瞬間的に涼しさを提供してくれる。
 それはエアコンがなかった時代を考えると、画期的なことだ。

 夏場はエアコンなしでは乗り切れない歳になってしまった。
 

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デリバリーという名の出前

2021年08月03日 14時57分06秒 | 徒然(つれづれ)
 コロナ禍の自粛と相まって、Uber Eatsや出前館が大繁盛だ。

 私たちの年代になると、出前といえば、蕎麦屋や丼物屋の出前が一般的で、それも親に来客があった時の特別な食事だった。
 それこそ年に数えるほどしか出前など頼んだこともない。
 また、それとは逆に、昔の赤塚不二夫や藤子不二雄の漫画に出てくるような、貧乏ぐうたら人間の食事だった。

 要は、ハレの日の特別メニューか、ぐうたら手抜きメニューだったのだ。
 そこにはそこはかとない情緒や哀愁、生活臭などが漂っていた。

 それが今や、Uber Eatsや出前館はもちろん、既存のピザのデリバリー、果てはマクドやケンタ、ファミレスなどのデリバリーは、若者にとっては、なんの抵抗もないドラスチックな日常のひとコマのようだ。

 そう、昭和チックな出前ではなく、今風にはデリバリーという。
 出前館などは文字通り、それを逆手に取ったべタな商号がウケているようだ。
 CMのテーマソングも、昭和の時代に流行った植木等の「スーダラ節」の替え歌だ。

 私たちの世代にはなんとなく抵抗感があり、いまだ利用したこともないし、今後も利用することはないだろう。
 家内が利用している食材の宅配は出前とは異なるが、もう10年か15年ほど歳をとったら、老人食の宅配を利用するようになるかもしれない。
 しかしそれはあくまで宅配であって、私の認識では、出前とは似て非なるものだ。
 


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雨を逃れて

2021年08月03日 14時04分34秒 | 徒然(つれづれ)
 今日は緑内障の検査で大阪の街に出た。
 天気予報では、ちょうどその時間帯が雨マーク。

 傘を持って出たものの、行き帰りの歩きの区間は雨に降られることはなかった。
 電車に乗っている時間と検査の時間に降ったようだ。
 これをラッキーというのだろうか。

 帰りはちょっと遠回りをして、会社の近くの天神橋商店街経由で梅田まで歩いた。
 雨上がりだったが、猛暑は衰えず、汗びっしょり。

 帰りの電車は空いていて余裕で座れた。
 座って発車する前に寝落ちしたらしく、一瞬で15分の距離の最寄り駅に着いていた。
 まるで股関節手術の時の麻酔から覚めた気分だった。


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んなアホな

2021年08月02日 15時38分28秒 | 徒然(つれづれ)
 記者「総理、コロナの現状に関して危機感はないんですか?」

 総理「重症化リスクの高い高齢者層は、ワクチン接種でコロナに対する抗体ができつつありますし・・・」

 記者「そのほかの年齢層は?」

 総理「コロナ禍に対する抗体ができつつあります」


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汗をかくって気持ち悪い

2021年08月01日 12時59分21秒 | 徒然(つれづれ)
 今日も炎天下、7kmのウォーキングを敢行。
 考えてみると、66歳オーバーで、ほぼ毎日7km前後のウォーキング、またはジョギングをしている人間が、どれほどいるだろう。
 2、3割くらいはいるだろうか。いやもっと少ないに違いない。

 ということは、私など奇特な人ということになるのだろうか。
 私の場合、ウォーキングは日課になっているので、それで疲れがたまることも、筋肉が凝ったりすることもない。
 あえて言えば、夏場に大量の汗をかくのが鬱陶しいし、チョー気持ち悪い。

 今日も途中休憩で、汗を拭いたハンカチを絞ると、汗が水滴となって滴り落ちた。
 まあ、自然のサウナに入ったと思えば安上がりだ。

 タオルを携帯すればいいのだが、それだと、年寄りが健康のために、頑張ってウォーキングをしている感が出て、私のプライドが許さない。
 やせ我慢かもしれないが、傍からは、ちょっとどこかに用事で出かけているように見えるのが理想だ。
 
 

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