定年退職後は、小説で一発当てて夢の印税生活を、と目論んだものの、未だに小説の構想さえ思い浮かばない。
在職中は、忙しさの中にも暇を見つけ、短編小説もどきを30冊ほどAmazon Kindle Storeで電子書籍として出版したが、いざ定年退職して暇になると、執筆意欲自体も暇になってしまった。
下手の考え休むに似たりではないが、下手の考え休みを得たりだ。
夢の印税生活も文字通り夢で終わりそうな雰囲気だ。
小説、特に長編小説を書くには、結構、大変な労力を要するものだ。
著名な小説家でも、途中で案が浮かばず、投げ出したくなるようなことは多々あるようだ。
素人の私は言わずもがなだ。
長編小説で思い出すのが、世界一長いと言われるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だ。
大学の第二外国語でほんの少し齧ったが、当時も今も、その偉大さはわからずじまいだ。
400字詰原稿用紙換算で、1万枚ほどの長さだというから、百数十枚程度の私の小説など雲泥の差だ。
素人の私はよく書いて中編小説くらいか。
それでもなかなか筆は進まないだろう。
ならば、短編、ショートショート、もしくは詩やエッセイ、究極は俳句か。
5・7・5の俳句なら簡単にひねり出せそうだが、それが文学として認められることはまずない。
俳聖といわれる松尾芭蕉でも、1句だけではその歴史的な地位は確立できなかっただろう。
1000句ほどひねり出して、やっと俳諧の頂点に立てたのだ。
しかし、俳諧の頂点とは、所詮、井の中の蛙、文学界という大海ではその名も霞む。
エッセイやショートショートもその類いだろう。
短編小説でやっと文学界の末席を汚す程度だ。
ならば、ならば、ノーベル文学賞受賞のボブ・ディランに倣って、歌詞で勝負はどうだろう。
しかし、これも俳句と同じで、数をこなす必要がある。
音楽という要素も必要だ。
その要素が強すぎると文学者ではなく、ミュージシャンになってしまう。
それも二流、三流以下だろう。
しかし、小説よりハードルは低いと思われるので、ギター片手に作詞に舵を切ろうかなあ。
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