竹内憲治『花と革命』(学苑社)
副題が「キューバ革命を生きた日本人園芸家の手記」
となっています。
いやはや、すごい日本人がいたんですね。
1931年から亡くなる1977年まで
40年以上にわたって
キューバに園芸家として住んでいた日本人がいたんです。
本当はアメリカに行くはずだったのに
途中で寄港したキューバに住むことになり、
まさに革命の前から革命そのものを体験します。
何度苦難が襲ってきても、
園芸家として生き抜きました。
昨年、テレビで紹介され、
私は観ていなかったのですが、
会社で観ていた人がいて、
この本のことを教えてくれたのです。
すぐに図書館で予約を入れて、
実に1年以上待ってやっと借りることができました。
その番組を観た人たちが一度に予約を入れたのでしょうね。
よくあることです。
1977年に発行された本は
中央図書館の保存庫に入っているもので、
紙の色もすっかり変わっています。
テレビ番組のおかげで
急に脚光を浴びて
本も喜んでいることでしょう。
40年以上暮らしたキューバで
園芸家として献身的に生きていた人がいた、
それは知っておくべきことですね。
日本人として誇りに思う、
そんな表現がぴったりです。
キューバに行ってみたくなったりして。
副題が「キューバ革命を生きた日本人園芸家の手記」
となっています。
いやはや、すごい日本人がいたんですね。
1931年から亡くなる1977年まで
40年以上にわたって
キューバに園芸家として住んでいた日本人がいたんです。
本当はアメリカに行くはずだったのに
途中で寄港したキューバに住むことになり、
まさに革命の前から革命そのものを体験します。
何度苦難が襲ってきても、
園芸家として生き抜きました。
昨年、テレビで紹介され、
私は観ていなかったのですが、
会社で観ていた人がいて、
この本のことを教えてくれたのです。
すぐに図書館で予約を入れて、
実に1年以上待ってやっと借りることができました。
その番組を観た人たちが一度に予約を入れたのでしょうね。
よくあることです。
1977年に発行された本は
中央図書館の保存庫に入っているもので、
紙の色もすっかり変わっています。
テレビ番組のおかげで
急に脚光を浴びて
本も喜んでいることでしょう。
40年以上暮らしたキューバで
園芸家として献身的に生きていた人がいた、
それは知っておくべきことですね。
日本人として誇りに思う、
そんな表現がぴったりです。
キューバに行ってみたくなったりして。