コミュニティ放送局って、必要なのかなぁ?
私が暮らす街では、さほど必要としてないように感じる。
長年関わってきた私ですら、そう思うのだから、それ以外の人たちはもっとではないか。
コミュニティ放送局には、地域情報の集約と発信に大きな役割があるのは言うまでも無いが、地域コミュニティおよび各種活動のサポートを放送を通じて行う役割も有しているはずだ。
最近、問題視されている町内会の加入率低下に、地域住民や行政機関などと連携して何らかの方策を講じていくとかできるだろう。
でも、そのような話は一向に聞こえてこない。少なくてもわが街では…。
たまに放送を聴いていても、正直なところ面白くない。
ただコミュニティ放送は、面白い・面白くないの尺度だけで計ってはいけない。
市民の方々の息づかいや営みが番組(放送)を通じて伝わってくるものが望ましいと思う。
だが現実は(極端な言い方だが)出たがり市民のための受け皿にしか成り得ていないといえる。
事業収益性の問題もあるから、キレイ事ばかりは言えないが、もっと自分たちに課せられた使命や役割を認識した取組をしていかないと、地域住民から遠く離れた存在になっていくだろう。
すでに忘れ去られてますけどね…。
でなくても、最近は通信メディアやソーシャルメディアの発達により、既存のメディアに依存する比率は少なくなってきた。
そのような状況下で、彼らが何をして、何を築き上げていくのか?
私は地域のまちづくり会社のようなポジションで、なおかつ放送も持っている事業体として、市民生活のサポートする活動をし続けていくのがベターではないかと考える。
しかし、現状は日常の放送業務に追われて、それ以外はほとんど手付かずの状態と現場関係者は言う。
今後、コミュニティ放送もいろんな意味で真価が問われ、地域社会に「不要」と判断されたのなら、次々と淘汰されていくだろう。
そこを「要」と思わせることがどれだけできるか、難関だらけのような気もするが、注目してみたいと思う。
ps、今から十数年前は各地に「地ビール」と「コミュニティ放送」がどんどん誕生しましたね。その後は目立たなくなってしまいましたが…。ということは、時代の波に乗った流行りだったのかも?
私が暮らす街では、さほど必要としてないように感じる。
長年関わってきた私ですら、そう思うのだから、それ以外の人たちはもっとではないか。
コミュニティ放送局には、地域情報の集約と発信に大きな役割があるのは言うまでも無いが、地域コミュニティおよび各種活動のサポートを放送を通じて行う役割も有しているはずだ。
最近、問題視されている町内会の加入率低下に、地域住民や行政機関などと連携して何らかの方策を講じていくとかできるだろう。
でも、そのような話は一向に聞こえてこない。少なくてもわが街では…。
たまに放送を聴いていても、正直なところ面白くない。
ただコミュニティ放送は、面白い・面白くないの尺度だけで計ってはいけない。
市民の方々の息づかいや営みが番組(放送)を通じて伝わってくるものが望ましいと思う。
だが現実は(極端な言い方だが)出たがり市民のための受け皿にしか成り得ていないといえる。
事業収益性の問題もあるから、キレイ事ばかりは言えないが、もっと自分たちに課せられた使命や役割を認識した取組をしていかないと、地域住民から遠く離れた存在になっていくだろう。
すでに忘れ去られてますけどね…。
でなくても、最近は通信メディアやソーシャルメディアの発達により、既存のメディアに依存する比率は少なくなってきた。
そのような状況下で、彼らが何をして、何を築き上げていくのか?
私は地域のまちづくり会社のようなポジションで、なおかつ放送も持っている事業体として、市民生活のサポートする活動をし続けていくのがベターではないかと考える。
しかし、現状は日常の放送業務に追われて、それ以外はほとんど手付かずの状態と現場関係者は言う。
今後、コミュニティ放送もいろんな意味で真価が問われ、地域社会に「不要」と判断されたのなら、次々と淘汰されていくだろう。
そこを「要」と思わせることがどれだけできるか、難関だらけのような気もするが、注目してみたいと思う。
ps、今から十数年前は各地に「地ビール」と「コミュニティ放送」がどんどん誕生しましたね。その後は目立たなくなってしまいましたが…。ということは、時代の波に乗った流行りだったのかも?