虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

どこかスッキリしないけど…

2021-12-14 06:50:52 | スポーツ
オートスポーツより。

47年ぶりという同ポイントで最終戦アブダビGPを迎えたマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)とルイス・ハミルトン(メルセデス)の2022年のF1チャンピオン争い。決勝のスタートでハミルトンにトップを奪われ、2番手で苦しい戦いを強いられていたフェルスタッペンだったが、最後、ファイナルラップでまさかの逆転で初のF1ワールドチャンピオンに輝いた。今年でF1活動を終えるホンダにとっても、30年ぶりという、メモリアルなタイトル獲得となった。

2015年から第4期のF1活動を続けていたホンダがついにF1ラストレースを迎えた。そのラストレースはエンジン/パワーユニット(PU)を供給するレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンのドライバーズチャンピオンが掛かった第22戦アブダビGP。

ホンダにとっては1991年のアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)以来、30年ぶりとなるドライバーズ・チャンピオン争い。そして、ライバルのルイス・ハミルトン(メルセデス)とフェルスタッペンは47年ぶりという、ドライバーズポイント同ポイント(369.5点)で最後の戦いを迎えることになった。

前日の予選ではポールポジションを獲得していたフェルスタッペンだったが、決勝でのスタートタイヤは軟らかめのソフトタイヤ。対するハミルトンは予選2番手でタイヤは硬めのミディアムタイヤと戦略は分かれた。

スタートでは2番手のハミルトンが1コーナーでフェルスタッペンのインを付いてトップを奪取。その後、バックストレートエンドのターン6でフェルスタッペンがインを突いて抜きにかかり、2台が並んで接触するかしないかのギリギリのところでハミルトンがコースオフするも、そのままハミルトンがトップをキープ。

その後、一時ハミルトンはフェルスタッペンに9秒近い差を付けるも、フェルスタッペンのチームメイト、セルジオ・ペレスがタイヤ交換を遅らせてハミルトンを決死のブロック。ハミルトンに抜かれても抜き返し、その間にフェルスタッペンが追いつき、トップのハミルトンとの差は1.3秒の接近戦に。

しかし、お互いハードタイヤを装着した状態ではハミルトンの方がペースが速く、レース後半は2台の差は約12秒差。このままハミルトンが優勝かと思われた53周目にニコラス・ラティフィ(ウイリアムズ)がクラッシュしてセーフティカーが導入。ここでフェルスタッペンはピットに入ってソフトタイヤに交換。ラスト1周でステイアウトするハミルトンとのギャップがなくなる。
 
リスタートとなったファイナルラップで、フェルスタッペンがハミルトンをオーバーテイク。残り1周のまさかの展開でフェルスタッペンが逆転で優勝し、自身初のF1ワールドチャンピオンに輝いた。チェッカーを受けた直後の無線で「Oh MY GOD!!」と、何度も叫び、「最後のラップでやったよ!」と涙声のフェルスタッペン。ホンダにとっても、1991年のアイルトン・セナ以来となる、30年ぶりのドライバーズタイトル獲得という劇的な展開でF1ラストレースを迎えることになった。

フェルスタッペンは2015年にF1デビューを果たした1997年生まれのオランダ出身ドライバー。4連覇中のハミルトンを抑え、24歳にしてついに初のF1ワールドチャンピオンに輝いた。<了>

このレースを終始リードし、主導権を握っていたのはハミルトン。
やはり絶対王者は強いなぁって。
それが最後の最後にどんでん返しという結末。

終盤のラティフィのクラッシュにより、勝負の流れが変わったといえるし、メルセデス&ハミルトン陣営は何とも言えない喪失感だったろう。
レッドブル陣営も最後まであきらめずに必死に戦い、運を引き寄せるべく最後まで果敢にチャレンジしたのが功を奏した。

結果、僅差で新たな王者が誕生したが、個人的にはどこかに引っかかるものがあったのも事実。
何か恣意的なものがあったような気もしています。
もう少し、運営サイドがしっかりしてくれれば…と思える。
今季はそれが目立ったシーズンでもありました。

ただ2人のタイトルコンテンダーとチームが、ほぼノーミスで戦ったことは凄まじいことであり、世界最高峰にふさわしいものでした。
高度で濃密な戦いはしびれました。

シーズン途中の再三の衝突(アクシデント)や、終盤の(醜いまでのチーム首脳による)舌戦は、いかにも政治色が色濃く&エゴの群れともいえるF1らしいものでしたが、今季でワークス活動を終了するホンダにとって、最良の終え方ができたのは日本人としては良かったと思っています。

1991年のセナ(マクラーレン・ホンダ)以来のホンダ製エンジン(現在はパワーユニット)搭載車の戴冠。
さすがに30年は長かった(待たされた)よね。
もうこんな経験をすることは無いんだろうなぁ。
その意味では、大きな1戦だったのは間違いないですね。