今、「人質の朗読会」(小川洋子著) を 読んでいる。
まだ、第二夜(2人目)の話を終えたところなので 読み始めたところといってもいいが、
語られる内容について 意図も先も読めず、ただただ耳を傾ける。
最後に括弧書きで 語った時の年齢や職業が添えられているのだが、
語られていない時 を感じる重い一行となっている。
ふと手にとった 「猫を抱いて象と泳ぐ」 から思い立ったように
隙間時間を見つけては、再び 小川洋子さんの作品を読み、
ここでも 育児話ばかりでなく、日常で思うあれこれを書き始めている。
長編小説を読みながら (息子が小学生になって) 少し手が離れたことを実感する。
ここで 色々な話を綴っている私だが、
もしも朗読会に参加することになった折は、(状況が状況だけに参加したくないが)
何を語ろうか・・・と考える。
駅前のマンション住まいなので、早朝から深夜まで電車の音が聞こえてくるのだが、
明け方のこの時間は、鳥の鳴き声だけが聞こえる静かな時間。