青かったあのころ

2006年04月14日 | Weblog

学生の頃だったから、今から何年前になるでしょうか。40年くらいになりますか。まだ、経済の高度成長の一歩手前の頃でした。テレビが、わが家にやっと入った頃でした。しかし、そのめずらしいはずのテレビは、あまり面白いとは思えず、よくラジオを聞いていました。

その頃は、100ボルトの電源がないと聞けないラジオしか、家にはありませんでした。電池でも聞けるトランジスタ・ラジオは出たばかりで、ビンボーな学生には買えませんでした。 夜になると、少しばかり勉強をしたり、本を読んだりして、たぶん9時か10時頃に寝床に横になります。そしてラジオを聴き始めます。

最初は、おそらくニッポン放送だったと思いますが、「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」という番組からでした。演奏だけのポピュラー音楽をやっていたと思います。15分くらい連続して音楽を流し、コマーシャルが入り、残り15分はまた連続の音楽でした。あの頃やっていた、あの音楽は今はあまり売られていません。廃盤が多いです。    
   


それが終わると、ラジオ東京に合わせます。今のTBSです。そこで、今度は「夜のバラード」という番組が始まります。夜の鉄道の操車場の音がしてきます。蒸気機関車が線路の入れ替えをする様子が聞こえてきます。車輪が早く廻る音。金属がふれあったりぶつかったりする音。蒸気を吹き出す音。そして汽笛。そういう音が少し弱まると、男性アナウンサーの低い声で詩の朗読が始まります。もう忘れてしまいましたが、夜の操車場には、いろいろな顔をした蒸気機関車がいる。というような文句からはじまる詩だったと思います。

始まりはいつもその機関車の詩でした。それが終わると少しずつメロディーが強くなってきて、やがて「ルールー ルルー ルー」という女性の歌声が始まります。今の由紀さおりが歌っていた「夜明けのスキャット」という曲です。その頃はまだレコードになっていませんでした。たぶん、その番組のテーマで人気が出たのでレコードにしたと私は今でも思っています。その番組で聞いていたのと、レコードは微妙に違うように思えました。   

             
                  由紀さおりさん。若かったねぇ。

いろいろな詩の朗読がありました。そして音楽。夜のしじまのなかで、落ち着いた声で読まれる詩は、どれもすばらしく思いました。あの番組はとても良かったです。多感な青春時代の、とても貴重なひとときでした。この番組名をすっかり忘れてしまったので、「教えてgoo」に質問をすると、すぐに教えてくれた人がいます。「そう言えばそうだった。」と、その番組名をはっきりと思い出しました。スポンサーは、「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは明治」でした。

                                                   

             なつかしい味。たまには食べたいー。


今は、音や言葉を聞いて、自分でいろいろな世界を想像するということが、とても少なくなってしまい、難しいことになってしまいました。その当時、ポール・ヴェルレーヌという人の、「パリの空の下をセーヌが流れ我らの恋が流れる。」というような詩を読んだときに、もちろんパリに行ったことのなかった私は、いろいろな風景を頭の中で創造したものでした。

今夜は、寒くはありませんが、夜が暗く風が強くなりました。そんな時に、何のわけもなく、ふと昔のことが思い出されたわけです。懐かしい青春の一こまのお話でした。
     

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        たけのこ                  たらの芽
    見えにくいのでレンズのキャップをバックにしました