昨晩中飴が、いや雨が降りました。降ったのが飴だったら、子供の頃はさぞや嬉しかったことでしょう。幼児の頃は、あまり甘いものを食べた記憶がありませんでした。米軍から配給された、名前ははっきりと覚えていないのですが、グリコースとか何とかいうカルメを硬くしたようなものを、少し食べた記憶はあります。

ガムは、ジープに乗ってあのカーキ色の変なツバのない帽子をかぶった進駐軍にもらった記憶がありますが、それは全然甘くなくてハッカが強かったように覚えています。初めて食べたので、あるいは幼児だったから強く感じたのかも知れません。
おっとっと、最初から脱線してしまいました。もっとも、このブログは線路が敷かれている訳ではないのですけど。それに、この脱線は死者もけが人もでません。それが自慢なんです。ついでに、「おいおい、百姓のことが少ないんじゃないの。」なんて密かにあるいは大っぴらに思われているのではないかと、いや確実に思われています。

野良仕事のことは、近ごろはなんだか身体的にも精神的にも疲れてしまって、もうやることが多すぎて嫌気がさしてきているものですから。それに種まきゃ虫に喰われるし、実がなりゃカラスに突っつかれるし、葉っぱは穴だらけだし、雑草は暴れ回っているし、枝は延び放題で、竹はどんどん侵略してくるし、蚊はゾッとするほど寄ってくるし、パソコンは古くなっちゃったてスピードが遅いし、新聞は休むし、関係ないか。・・・・



やっとインゲンを取ってきて食べました。おいしいですね。やっぱり百姓のまねごとを続けようかな。団地住まいはこの次にして。マンションはそのまた次にして。とまあ、クルクルと変わる私の心境。疲れているんですね。
今日は、さほど暑くはないのですが、さっき2時間ほど裏で草刈りをやってきたところ、いやその暑いのなんのって。気温だけじゃなくて湿度が高いんですね。まるで梅雨の頃みたいです。台風が影響しているんでしょうか。

トマトは、まあ下の方から枝がでてきてしまって、地這いトマトになっちゃいました。それでも花が咲いているので、倒さずにおいてあります。生るんでしょうか? サぁーーー?? 分かりまへんな。少し前までは地べたに赤い実がなっていました。イチゴにしては大きすぎるかなという感じでしたね。
初夏の頃は、せっせと脇芽などかいたりしていたのですが、真夏も過ぎるとどうでも良くなってしまって、ほったらかしです。脇芽かきどころか、恥をかいてしまうという始末。商売でやっているんじゃないので、損するとかなんとかがないせいか、気持ちの上で新鮮さがなくなっちゃっているんですね。
初夏のころは、何もかもめずらしいという、いわば新婚時代と同じで、真夏も過ぎたころは、もうハぁどうでもよい夫婦になっちゃっている、というような例えはあまり良くないでしょうか。何も、そんなものに例えなくったって・・・。

「天声人語」に書いてあったんですが、志ん生の落語に「どうしてカビが生えるんでしょうね。」「早く食っちまわないからだ。」というのがあるそうです。まさにその通り。でも、初めからカビを生やしたままで海を渡ってくる米はどうしようもないですね。そういうのを運ぶ船はカビ航船。
その先は今日は言いませんよ。心にカビが生えちゃったなんていうようなことは。次の機会にします。
一日一茶
こほろぎのなくやころころ若い同士
原文の こほろぎ は虫偏に車という文字でした
廃句
コオロギのなくやころころころころり
コオロギは縁の下でもころころり
コオロギのなくやころころもう寝よう
コオロギのなくやころころ淋しそう
コオロギのなくやお前も独りぼっち
コオロギのなく夜は思い駆けめぐり
コオロギのなく夜は遠い日に帰り
コオロギのなく夜は涙ながしけり
コオロギのなくや父と遊んだ日
コオロギのなく夜は昔を思い出し
蠅蚊(廃歌)
コオロギは淋しからずや闇のなか
孤独に耐えてひとりころころ