このブログの名前は 「 喫茶去 お茶でもどうぞ 」 ですが、この 喫茶去 と言う言葉は、「 きっさこ 」 と読み、辞書によると 「 〔「お茶でも飲みに行け」の意〕 もともとは禅宗で相手を叱咤(しつた)する語であったが,のち「お茶でも召し上がれ」の意と解され,日常即仏法の境地を示す語と誤解された。」 とあります。要するに今では 「お茶でもどうぞ」 と言う程度のことに使用される語となっているということですが、私もそのつもりで、お茶は出ませんが、「 ひとつお茶のみ話でもどうぞ 」 と言う程度の意味で使っています。
このように、掛け軸になっていたり、長押(なげし)の上などに横に長い額、つまり横額になっていたりしたのを見たことのある人も多いかと思います。
私の経験では、会議などで懸案の事項を決めるときに、賛否両陣営が頑張ってしまって、決をとるのもちょっと無理があるなと、暗礁に乗り上げた船のような状態になってしまったときに、議長が機転を利かせて 「 ただいまから10分間休憩をします 」 などと宣言し、再び会議を始めると、さっきまであれほど行き詰まっていて決が採れない状態だったのに、なんとその後はすんなりと決まって仕舞うなんてことがよくありました。一端休止、そして凝りをほぐしホッとしてから再び事にあたる。これこそ喫茶去の心なのではないかとおもうことがあります。
座椅子に長い間座ることが多いこの頃なのですが、そのせいか腰が痛くてなりません。一時的なものと思いますが、今朝は何とも無かったので、5時頃から草むしりをしていたのですが、朝食の頃には痛くなってしまい、そのあとは作業が出来なくなってしまいました。
それじゃ、いっそのこと温泉にでも入って養生しようかと言うことになり、30kmくらい北の方にある町の温泉に入りに行きましたが、今日はあいにくお風呂は定休日でした。ついていない。
それで、痛い腰をさすりながら昼食を食べて、すこし散策をして帰ってきました。腰はよくはなりませんでしたが、大いに気晴らしになりました。
この温泉は国民宿舎ですが、全国の国民宿舎の中で一番人気があるのだそうです。
鵜の岬と言うところにありますが、その名のとおりに鵜がいます。高い岩の上に小さくみえました。このちょっと右手の方に、この鵜を捕獲するところがあります。捕獲して食べるのではなく、岐阜に送られてそこで飼い慣らされ長良川の漁に使われるのだそうです。長良川の鵜飼いは有名です。
それに関しては、私のもう一つのブログ わかよたれそつねならむ (←クリックしてください ) をごらんください。
廃 句
我が子猫 今日も元気に 駆け回り
おい、ミーちゃん 元気を半分 分けてくれ
温泉に 入れず腰は ズキズキズキ
不思議かな 運転中は 痛まない
朝昼晩 ご飯もしっかり 美味しいが