ようやく一周年、といった途端に一回休みしてしまいました。昨日は夏コミの件でメールを作って各位に配信していたのですが、思いの外その作業に手間取りまして、日記更新するのをつい忘れてしまったという次第。忙しくなると一点集中して他がおろそかになるという、悪い癖が出てしまいました。でも、一言いいわけを許してもらえるなら、私にとって人に送る文章というのは非常に気を遣う、体力と気力を要する一仕事なのです。その文章の調子が居丈高になっていたり卑下しすぎていたり得意げに浮かれていたり落ち込んで沈んでいたりなどしないように、もちろん事務的に素っ気ないようなことにもならないように、ようするに詰まるところ読む人に不快感を与えないように書くのは、本当に神経がすり減ります。その上もっとも大事なことには、限られた字数で過不足なく情報を盛り込まねばならないこと。何か見落としはないか、こちらの思いこみで意味が伝わらない内容になってないか。冗長になっていないか、あるいははしょりすぎていないか。あれこれ注意を払って何度も書き直し、ようやくメール一つ出す、というのが、私のメールに関する日常です。
でもそれだけ手間を費やしていても、その効果は本人にはすぐには知れないわけで、しかも見落としや思わぬ落とし穴が後で発覚したりして、おちこむこともしばしばです。
所詮完璧を期するのは不可能なのですから、我ながら気を使いすぎるのも考え物だ、と思わないでもないのです。でも、メールにせよ掲示板への書き込みにせよ、相手はこちらの綴った文字の連なりしか見えないわけで、その文字の連なりですべてが判断されると思うと、やはり気にならないとすましていることもできません。その点、この日記のようにさほど気にすることなく書いていられる文章は本当に気が楽です。あと、好き勝手書いていられる小説とか。これまで麗夢の同人小説だけでもおそらく100万字以上文字の連なりを綴り続け、およそ小説については一定レベルの水準にまでようやく手が届いたかな? と最近はうぬぼれている次第ですが、未だにメールを自然体で書く境地にはほど遠いです。孔子は「己に欲するところに従えどものりを超えず」となるのに70年かかったようですが、私もメールの作法が自然に身に付くようになるまでには、それくらいは優にかかってしまうに違いない、と思わないではいられません。
そうなるまでに、もっと人とのコミュニケーションを円滑にするツールがコンピューターで実現できるようになっているかもしれません。そうなればもうテキストで悩まなくてもすみそうですが、小説書きの楽しみも大きく変質するかもしれないと思うと、来るべき未来は少々複雑です。
でもそれだけ手間を費やしていても、その効果は本人にはすぐには知れないわけで、しかも見落としや思わぬ落とし穴が後で発覚したりして、おちこむこともしばしばです。
所詮完璧を期するのは不可能なのですから、我ながら気を使いすぎるのも考え物だ、と思わないでもないのです。でも、メールにせよ掲示板への書き込みにせよ、相手はこちらの綴った文字の連なりしか見えないわけで、その文字の連なりですべてが判断されると思うと、やはり気にならないとすましていることもできません。その点、この日記のようにさほど気にすることなく書いていられる文章は本当に気が楽です。あと、好き勝手書いていられる小説とか。これまで麗夢の同人小説だけでもおそらく100万字以上文字の連なりを綴り続け、およそ小説については一定レベルの水準にまでようやく手が届いたかな? と最近はうぬぼれている次第ですが、未だにメールを自然体で書く境地にはほど遠いです。孔子は「己に欲するところに従えどものりを超えず」となるのに70年かかったようですが、私もメールの作法が自然に身に付くようになるまでには、それくらいは優にかかってしまうに違いない、と思わないではいられません。
そうなるまでに、もっと人とのコミュニケーションを円滑にするツールがコンピューターで実現できるようになっているかもしれません。そうなればもうテキストで悩まなくてもすみそうですが、小説書きの楽しみも大きく変質するかもしれないと思うと、来るべき未来は少々複雑です。