今日、たまたま蝉が鳴いているのに気づきました。この夏の初聞きです。多分もう少し前から鳴いていたんだろうとは思いますが、気づくことがありませんでした。ずっと雨が多かったですし、昼間はともかく朝夕は結構冷え込んだりしてましたから、案外本当に鳴き始めは今日だったのかもしれません。だとすると記録的に遅い初鳴き、と言うことになるんじゃないでしょうか。もう世間は夏休みに入っていると言うのに、今日も朝はしっぽりと濡れる雨模様で、午後からようやく日が差すようになって来ましたが、まだまだ夏本番、と言うにはあまりに弱弱しい日射でしかありません。いくら涼しい夏がいいとは言え、こうも迫力に欠けるとかえって心配になってきます。何日も続くのは勘弁してほしいですが、そろそろ夏らしい日があってほしいものです。
さて、そんな変な天気のせいでしょうか。今日は仕事場でちょっと珍しいものを見ました。部屋の床に、カニがいたのです。所用があって明かりもつけずうす暗がりの部屋に入りましたところ、突然足元でぱきっとプラスチックの部品でも踏み割ったような音がいたしました。ひょっとして大事な道具を踏んでしまったか、とちょっと焦りましたが、実は踏んだそれが、カニだったのです。残念ながら既に死亡しておりましたが、多分部屋に迷い込んで出口を見失い、ここで息絶えたのでしょう。いわゆる沢蟹、というやつで、甲の幅がざっと3センチ、足を広げても10センチに満たない小さなカニでした。
我が仕事場は結構山の中でいろんなものが部屋に入ってきたりしますが、ここ10年ほどで部屋にカニが入ってきたのを見たのは初めてでした。同僚に聞いても見た記憶が無いということで、小さなカニの死骸を囲んでひとしきり盛り上がりました。周囲にカニが棲息していそうな沢や川などは記憶に無いのですが、先週の大雨などで近所に流されてきたのか、あるいはあふれる水に追い上げられてきたのかもしれません。
カニで思い出すのは、まだ小さかったころ、ちょうど今時分の夏休みに帰省した田舎で見かけたカニ達の姿です。私の田舎は鹿児島の小さな漁村で、今も本家は残っています。何でもかつては倭寇の一派として南海に名を馳せた海の男の一族なんだそうですが、その末裔は沢蟹が迷い込むような山の中で、すっかり山幸彦のような暮らしをしている、と言うわけです。それはともかく、祖父が元気だったころ住んでいた、海からはやや離れた一軒家が夏休みの間の私の住まいだったのですが、家の前にちょっとした溝があり、そこの石を積み上げた壁面に、カニがいっぱい住み着いておりました。彼らは昼は一向に姿が見えないのですが、朝や夕方にはどこにいたのか、と目を見張るくらいあちこちから顔をのぞかせ、ひしめき合っていました。虫やら魚やら色々と生き物の姿にあふれた田舎でしたが、海山の違いこそあれ、こうして今も田舎での仕事を楽しんでいるのは、そんな昔日の体験が少しは影響しているのかもしれません。
さて、そんな変な天気のせいでしょうか。今日は仕事場でちょっと珍しいものを見ました。部屋の床に、カニがいたのです。所用があって明かりもつけずうす暗がりの部屋に入りましたところ、突然足元でぱきっとプラスチックの部品でも踏み割ったような音がいたしました。ひょっとして大事な道具を踏んでしまったか、とちょっと焦りましたが、実は踏んだそれが、カニだったのです。残念ながら既に死亡しておりましたが、多分部屋に迷い込んで出口を見失い、ここで息絶えたのでしょう。いわゆる沢蟹、というやつで、甲の幅がざっと3センチ、足を広げても10センチに満たない小さなカニでした。
我が仕事場は結構山の中でいろんなものが部屋に入ってきたりしますが、ここ10年ほどで部屋にカニが入ってきたのを見たのは初めてでした。同僚に聞いても見た記憶が無いということで、小さなカニの死骸を囲んでひとしきり盛り上がりました。周囲にカニが棲息していそうな沢や川などは記憶に無いのですが、先週の大雨などで近所に流されてきたのか、あるいはあふれる水に追い上げられてきたのかもしれません。
カニで思い出すのは、まだ小さかったころ、ちょうど今時分の夏休みに帰省した田舎で見かけたカニ達の姿です。私の田舎は鹿児島の小さな漁村で、今も本家は残っています。何でもかつては倭寇の一派として南海に名を馳せた海の男の一族なんだそうですが、その末裔は沢蟹が迷い込むような山の中で、すっかり山幸彦のような暮らしをしている、と言うわけです。それはともかく、祖父が元気だったころ住んでいた、海からはやや離れた一軒家が夏休みの間の私の住まいだったのですが、家の前にちょっとした溝があり、そこの石を積み上げた壁面に、カニがいっぱい住み着いておりました。彼らは昼は一向に姿が見えないのですが、朝や夕方にはどこにいたのか、と目を見張るくらいあちこちから顔をのぞかせ、ひしめき合っていました。虫やら魚やら色々と生き物の姿にあふれた田舎でしたが、海山の違いこそあれ、こうして今も田舎での仕事を楽しんでいるのは、そんな昔日の体験が少しは影響しているのかもしれません。