今日は15夜。午前中は快晴のお天気でさぞ今宵の月もキレイに見えるだろう、と期待しておりましたら、昼過ぎからどんどん雲が沸き立って、夜にはほとんど空が見えなくなっていました。その雲を裏から照らしながら、時折雲の切れ目から顔をのぞかせる月の姿が、これはこれで秋の風情が感じられるちょっと特別な月に見えました。でも、雲ひとつなく澄んだ夜空に煌々と輝く満月というのも観てみたいですね。
さて、福島の原発事故の収拾はまだ前途遼遠、という感じでいつ終わるのか検討もつきませんが、今度はフランスの核施設で爆発事故があり、ヒトが死んだり重症をおったりしているというニュースを見ました。施設は発電所ではなく、仏電力公社の子会社が運用する核廃棄物処理工場とのことです。詳報はまだ判りませんが、今のところ、フランス当局は「放射能漏れはない」という公式見解を出しているそうです。爆発の原因はまだ不明とのことですが、爆発の規模と原因、それに、本当に放射線の遮蔽に成功しているのか、というような情報が早く上がってくれることを期待しています。それにしても、ひょっとしたらこの手の事故は飛行機の墜落事故のように何故か連鎖的にあちこちで続くのかもしれません。複雑な機構を持つ原子力関連施設では形を変え、品を変え、様々な原因で不具合が起こりうるのは、ヒトの創りだしたものである以上避けられない部分もありますが、それをまた様々な手立てで破局を抑えこむよう安全対策が取られていたはずです。それが、ちょっとした人間の都合や不作為によってほころびが露見し、拡大してついにはどうしようもないところまで行ってしまう。原子力に限らず、ロケットとか飛行機とか電車とか工場とかありとあらゆる場面で起こり得て、実際に幾つかの大事件、大事故を起こしてきているというのに、未だにそれを払拭して究極の安全を確立する方法が見つからない、見つけられないでいる、というのがなんとも歯がゆく、一種の無力感を覚えます。私はほとんど盲目的に科学技術の可能性を信奉しており、いつかこの課題についてもブレイクスルーが訪れる日が来る、と楽観視しておりますが、それが実現するまでに人類はいくつの大事故を経験し、自らの存在を危地に陥れることになるのか、と思うと、あまり楽観もしてられないようにも感じます。
まあなにはともあれ、これでますます原子力は危険だ、ニンゲンの手には負えない、という話が沸騰しそうなのが残念です。私も基本原発に頼らなくて済むならそれに越したことはない、とは思いますが、原発依存0に至るまでの過程を、専門家がもっと真剣かつ活発に議論し、明確に描いていくべきだと思います。原発は発電をやめてもしばらくは冷やし続けないと燃料をいきなり炉から抜くこともできませんし、抜いた燃料も処理できるようになるまで更にしばらくは冷やし続けておかねばならないと聞いています。単に原発を止めれば済む、という問題ではないわけで、それらの後処理の方法などについても、これまで以上にきちんと詰めていかねばならないはずなのです。
さて、福島の原発事故の収拾はまだ前途遼遠、という感じでいつ終わるのか検討もつきませんが、今度はフランスの核施設で爆発事故があり、ヒトが死んだり重症をおったりしているというニュースを見ました。施設は発電所ではなく、仏電力公社の子会社が運用する核廃棄物処理工場とのことです。詳報はまだ判りませんが、今のところ、フランス当局は「放射能漏れはない」という公式見解を出しているそうです。爆発の原因はまだ不明とのことですが、爆発の規模と原因、それに、本当に放射線の遮蔽に成功しているのか、というような情報が早く上がってくれることを期待しています。それにしても、ひょっとしたらこの手の事故は飛行機の墜落事故のように何故か連鎖的にあちこちで続くのかもしれません。複雑な機構を持つ原子力関連施設では形を変え、品を変え、様々な原因で不具合が起こりうるのは、ヒトの創りだしたものである以上避けられない部分もありますが、それをまた様々な手立てで破局を抑えこむよう安全対策が取られていたはずです。それが、ちょっとした人間の都合や不作為によってほころびが露見し、拡大してついにはどうしようもないところまで行ってしまう。原子力に限らず、ロケットとか飛行機とか電車とか工場とかありとあらゆる場面で起こり得て、実際に幾つかの大事件、大事故を起こしてきているというのに、未だにそれを払拭して究極の安全を確立する方法が見つからない、見つけられないでいる、というのがなんとも歯がゆく、一種の無力感を覚えます。私はほとんど盲目的に科学技術の可能性を信奉しており、いつかこの課題についてもブレイクスルーが訪れる日が来る、と楽観視しておりますが、それが実現するまでに人類はいくつの大事故を経験し、自らの存在を危地に陥れることになるのか、と思うと、あまり楽観もしてられないようにも感じます。
まあなにはともあれ、これでますます原子力は危険だ、ニンゲンの手には負えない、という話が沸騰しそうなのが残念です。私も基本原発に頼らなくて済むならそれに越したことはない、とは思いますが、原発依存0に至るまでの過程を、専門家がもっと真剣かつ活発に議論し、明確に描いていくべきだと思います。原発は発電をやめてもしばらくは冷やし続けないと燃料をいきなり炉から抜くこともできませんし、抜いた燃料も処理できるようになるまで更にしばらくは冷やし続けておかねばならないと聞いています。単に原発を止めれば済む、という問題ではないわけで、それらの後処理の方法などについても、これまで以上にきちんと詰めていかねばならないはずなのです。