かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

仙谷由人逝く。これも一つの時代の区切りと言えそうです。

2018-10-16 20:15:38 | Weblog
 今朝の奈良市の最低気温は13℃、最高気温は21.6℃。五條市の最低気温は10.6℃、最高気温は19.2℃でした。昨日と同じく、一日薄曇りの空模様でした。今日は昼からは外での仕事だったので日差しが照りつけるよりはありがたかったですが、夕方からはにわか雨が降り始めました。幸い仕事はそれまでに片付いたので雨に打たれずに済みましたが、今日の予報は晴れ時々曇りで雨は無かったはず、と思っていたので、途中からやたら黒い雲が張り出したのには少々慌てました。残念ながら秋晴れは拝めず。明日明後日も一応晴れ時々曇りの予報ですが、果たして秋の青空を拝むことができるんでしょうか?

 さて、仙谷由人氏が肺がんで亡くなったそうです。享年72歳。日本人男性の平均年齢からしたらやや早い退場ですが、民主党政権で要職を歴任していた頃からやや不健康そうな顔つきで結構お年を召しているように思っていましたから、どちらかと言うとその訃報にはまあ年だしな、としか感じませんでしたし、改めて年齢を見て、まだそんなに年いって無かったんだ、と少し驚いたくらいでした。
 仙谷氏が民主党政権以前にどのような仕事されていたのか、寡聞にして知りませんが、仮にも一度は政権を担った政党において、閣僚や官房長官を歴任される程なのですからそれなりに存在感のある政治家ではあったのでしょう。ただ、幸か不幸か世間一般では民主党政権時代の様々な仕事で記憶されているのではないかと思いますし、私も、正直申し上げて尖閣諸島を巡る日本と中国のいざこざで、こちらの船に向こうが船をぶつけてきた実力行使の映像を隠したという、2010年11月のあの事件くらいしか覚えておりません。一応事業仕分けを仕切っていたりしたそうですが、なにせ事業仕分けには、「2番じゃ駄目なんですか」で一世を風靡した怪女がいますし、東日本大震災とその後の原発事故でも、何かにつけ時の総理が一番目立っていて、ヤクザまがいの恫喝をやらかしたヒトとか色々スター級の華々しい人たちが溢れていましたし、自身、影の総理、と呼ばれていたそうで、表に出てくるよりは裏で支える方が似合う人でもあったのでしょう。ああそうそう、「自衛隊は暴力装置」という発言もありましたね。前後の文脈を知りませんし、武装集団なのだから暴力装置には違いなかろう、と私は思ったりもしますが、結局この方の記憶は、御本人はひょっとして不本意かもしれませんが、軍事とのつながりでしか残らなかったということなのでしょう。
 まあ亡くなってしまえば皆仏様、というのが我が国の精神風土ですし、個人の尊厳と果たしてきた役割の成否功罪は別に考えるべきでもあるでしょう。対立軸は常に必要だと思いますし、そういう意味では立派に役目を勤め上げたとも言えると思います。とりあえずお疲れ様と申し上げ、ご冥福をお祈り致しましょう。

コメント
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