今日の午前中は、公民館で館長さんと少し話をした後、議会運営委員会を傍聴していましたが、ここで「 ??? 」と感じることがありました。
それは、明日の討論の順などについてが議題に上がった時、現在の最大会派の代表の方が、「討論で同じ会派から2人同じ討論内容で出るのはいかがなものか」という主旨の発言をされたからです。
すずか倶楽部から議会運営委員会に出席している南条議員は、「議員はそれぞれの考えを持っているのだから、このような形で討論があることは問題はないのではないか」と意見を出していただきました。
たしかに、会派内で意見を交わし、会派として意見をまとめるという考え方を否定する気はありません。それでよいという考えの方々はそのようにすればいいだけのことですから。
しかし、会派制を鈴鹿市議会はとっているからと言って、それを金科玉条のように他の議員の押しつけるような形になるのはいかがなものかと思います。
また、議運の議論の中で、意見が重ならないように討論を行うほうがよいという意見も出ましたが、それもわからない意見ではありません。
ただ、傍聴していて考えていたことは、討論についていろいろと議会運営委員会で話し合っている方々は、本会議場での討論をほとんど行っていない方が多く、いろいろな意見を出されていましたが、実体験に基づいた言葉の重さを感じないなということです。
たしかに、過去の経験もあり過去の議員の方々から学んだこともあるとは思いますが、はたしてそれが今の時代の流れの中で妥当なのか、それ以上に、市民から見て理解できることなのかという視点が抜け落ちている気がします。
それは、明日の討論の順などについてが議題に上がった時、現在の最大会派の代表の方が、「討論で同じ会派から2人同じ討論内容で出るのはいかがなものか」という主旨の発言をされたからです。
すずか倶楽部から議会運営委員会に出席している南条議員は、「議員はそれぞれの考えを持っているのだから、このような形で討論があることは問題はないのではないか」と意見を出していただきました。
たしかに、会派内で意見を交わし、会派として意見をまとめるという考え方を否定する気はありません。それでよいという考えの方々はそのようにすればいいだけのことですから。
しかし、会派制を鈴鹿市議会はとっているからと言って、それを金科玉条のように他の議員の押しつけるような形になるのはいかがなものかと思います。
また、議運の議論の中で、意見が重ならないように討論を行うほうがよいという意見も出ましたが、それもわからない意見ではありません。
ただ、傍聴していて考えていたことは、討論についていろいろと議会運営委員会で話し合っている方々は、本会議場での討論をほとんど行っていない方が多く、いろいろな意見を出されていましたが、実体験に基づいた言葉の重さを感じないなということです。
たしかに、過去の経験もあり過去の議員の方々から学んだこともあるとは思いますが、はたしてそれが今の時代の流れの中で妥当なのか、それ以上に、市民から見て理解できることなのかという視点が抜け落ちている気がします。