全国のいろいろなところで議員定数と報酬についてが話題になっています。身近で言えば名古屋市で、住民投票も告示されたところです。専決処分という形で、議会の日当化をしようとしたりした元阿久根市長は、リコール後の出直し選で落選をされたということも耳に新しいところです。
底流にあるのは‘議会はなにをしているのか’から始まる市民の議会への不信感であろうと思います。また、市民から見て特権的と映る存在への怒りのような感情も入り交じっているかもしれません。それは元阿久根市長の出直し選での得票数からうかがえるのではないかと思います。
そこで報酬と定数について考えるのですが、‘今のまま’であれば、鈴鹿市議会も報酬と定数を真剣に見直しの方向で考えるべきだと思います。しかし、今に留まるのではなく、これから先の市民と議会の関係を築くという視点から考えると、単に数字と金額の話になりがちなこの課題を、より広い議論で考えるべきだと思います。
報酬について言えば、今の会期日数で考えるのではなく通年議会の発想で考えれば、単純に日割りで考えるのではなく、今の地方自治法上でできることを最大限に行う議会という姿のために、生活給という考えもありえるはずです。
市民との意見交換会の開催、交換会からの課題抽出と政策立案、決算からの事業仕分け、常任委員会の所管事務調査をもっとこなすなど、まだまだできることするべきことがたくさんあります。それらを基本条例などで議会の義務としてから、報酬を考える方が、これから先に地方政治に取り組もうとする世代のためにもいいのではと思います。
定数について考えると、定数を減らすためにはどのような条件、どのようなことを議員に議会に求めるのかを、地域についても地方自治体全体についても、住民自治との関連から整理することが求められるのではないでしょうか。また、少子高齢人口減少社会に向かうこともはずせない要因です。
ちなみに定数について、最近の地方自治法改正で人口に対する‘上限定数’の考えがなくなっています。つまり、自分達に必要な、あるべき議会の姿はどうなのかを考えるにあたって、非常に広い議論が可能になっているということです。
どちらを考えるにしても、議会にも市民にも、感情的な議論ではなく、論理的にも責任を持ちながら、広く深く議論することが必要だと考えています。
底流にあるのは‘議会はなにをしているのか’から始まる市民の議会への不信感であろうと思います。また、市民から見て特権的と映る存在への怒りのような感情も入り交じっているかもしれません。それは元阿久根市長の出直し選での得票数からうかがえるのではないかと思います。
そこで報酬と定数について考えるのですが、‘今のまま’であれば、鈴鹿市議会も報酬と定数を真剣に見直しの方向で考えるべきだと思います。しかし、今に留まるのではなく、これから先の市民と議会の関係を築くという視点から考えると、単に数字と金額の話になりがちなこの課題を、より広い議論で考えるべきだと思います。
報酬について言えば、今の会期日数で考えるのではなく通年議会の発想で考えれば、単純に日割りで考えるのではなく、今の地方自治法上でできることを最大限に行う議会という姿のために、生活給という考えもありえるはずです。
市民との意見交換会の開催、交換会からの課題抽出と政策立案、決算からの事業仕分け、常任委員会の所管事務調査をもっとこなすなど、まだまだできることするべきことがたくさんあります。それらを基本条例などで議会の義務としてから、報酬を考える方が、これから先に地方政治に取り組もうとする世代のためにもいいのではと思います。
定数について考えると、定数を減らすためにはどのような条件、どのようなことを議員に議会に求めるのかを、地域についても地方自治体全体についても、住民自治との関連から整理することが求められるのではないでしょうか。また、少子高齢人口減少社会に向かうこともはずせない要因です。
ちなみに定数について、最近の地方自治法改正で人口に対する‘上限定数’の考えがなくなっています。つまり、自分達に必要な、あるべき議会の姿はどうなのかを考えるにあたって、非常に広い議論が可能になっているということです。
どちらを考えるにしても、議会にも市民にも、感情的な議論ではなく、論理的にも責任を持ちながら、広く深く議論することが必要だと考えています。