兵庫県加西市で、新型コロナウイルス対策のための基金として、7,750万円が計上され、財源は市長以下特別職給与と市議報酬削減ぶんからの約1,699万円に、職員や市民からの寄付で約6,000万円を賄う考えで補正予算を組まれ、市の正規職員全員が「特別定額給付金」10万円全額を寄付することを想定され、市議会でも可決されていることが話題になっています。5月27日の読売新聞記事では、寄付の目標額は正規職員約600人が10万円を寄付すると仮定して算定し、6月の期末手当からの天引きを職員に提示したとあります。
■5月27日:読売新聞記事『 10万円 職員寄付想定し予算…加西市長「強制ではない」 』
このような動きは、4月に広島県で県職員に給付される特別定額給付金の10万円を、新型コロナウィルス対策の財源とする考えが示されたり、政府で閣僚は受け取らない方向としたりするなど、政治がかかわるところで散見されています。
しかし一方では、埼玉県和光市長がTwitterで「#10万円もらう政治家」というハッシュタグを作成して、「申請しないと国庫に溶けてしまうだけ。本来、和光市には来ないお金なので、全額きっちり市内で使います」と意思表明されるなど、違う観点からお金の使い道を考える政治関係の方も多くいます。
私は、和光市長の考えに同調します。
が、ここから私たちは考えることが多くあると思います。
首長が職員の寄付を期待すると発言したり、財源のあてと考えに入れてしまうことは、半ば強制的なことではないかと思います。そうして作られる空気には、「欲しがりません勝つまでは」や「ぜいたくは敵だ」的な発想が潜むことにならないでしょうか。このような空気や同調圧力が、どのような社会へと導いていくことになるのか、どのような結末を迎えることになったかは、過去にその事例があると思います。また、自粛警察といわれる行動や、デマの流布にも通じるような社会の空気を作ることになると思います。
別の視点として、このように職員の寄付を募りながら、片方で、消費喚起の施策のために予算を計上するとすれば、本末転倒ではないかと考えられることがあります。自治体職員が定額給付金相当分を寄付などで供出すとすれば、そもそも定額給付金で期待されている消費活動、経済活動への波及効果が小さくなるでしょう。また、そのように給付金を出さなければいけなくなるとしたら、その人の消費意欲はどうなるかを考えると、消費意欲は通常よりもかなり下がる可能性が高いと考えます。
そして、経済状況が悪化することも予測しながら平時の財政運営をし、自治体の貯金としての財政調整基金を積み立てているべきで、それが機能していなかったのかという見方もできます。鈴鹿市ではリーマンショックの際に、財政調整基金に余裕があったことから、財政運営に大きな影響を出すことなく、当時の危機を乗り越えられた経験があります。それもあって、これまでの財政運営と財政調整基金も積み増しができたことで、現時点で財政運営が急に破たんする不安が小さくできています。そのようなことから考えると、職員からの寄付を前提にするということに疑問が出るのではないでしょうか。
自治体がすることは、住民の皆さんの生活ができるだけ破たんしないような政策を考えること、そしてもし、生活が立ち行かなくなるような事態になるときに、セーフティネットで支えることだと思います。それは行政だけでなく、私たち全体で考えることなのだと考えています。
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