自分のやってきたこと、これから取り組みたいことを話しながら、あらためてその底に流れる共通のものを考えると、いろいろな社会変化の要因が見えている今、一番強い思いは「子どもたちが食べるに困らない」という表現に集約されました。当たり前と言われるかもしれませんが、本当に当たり前として私たちは考えているでしょうか。考えているつもりになっていないか、自問自答する時間が必要かと思います。
新型コロナのパンデミックにあるように、感染症の影響はすぐに世界に広まってしまうことがはっきりし、その影響は健康面だけではなく、社会的にも経済的にも大きなものとなって、あっという間に世界全体を覆ってしまうことを目の当たりにしたにもかかわらず、これからが、これまでと同じ考えのままでいられるでしょうか。
経済を背景にした大国の変化を、どこまで考えているでしょうか。大国だけでなく、軍事力などを背景にしながら国を統制しているところもあり、そこでは一方で、その国の人たちが抑圧されていたりするのに、毅然と抑えることもできないまま、行動がエスカレートしていっている。一見して安定しているように見えても、ほんの少しで大きくバランスが崩れて、世界のあちこちで戦時下になる可能性はないのでしょうか。
世の中にたくさんお金(マネー)が出回っているのに、その総額ほど、世界全体で私たちは幸せになっているでしょうか。あふれるマネーが引き起こすことのリスクを考えることはあるでしょうか。私たちが「それだけの価値があると考えて」その前提で信じあって使っているから成り立っているお金は、そのことを疑う人や信じない人が、自分の利益を最大にするために動いたら、信じあうことがなくなったら、数字がどれだけあっても成立しなくなるかもしれないと考えるでしょうか。
気候変動の影響で起こる極端な気象現象だけでなく、地殻の動きによって発生する大地震や火山の噴火、温暖化に伴う海水面の上昇を、地球の変化としてつなげて考えることはあるでしょうか。私たちはこの100年程度の間の落ち着いた状態に慣れすぎて、それに、人間の力でさばけると過信しすぎてはいないでしょうか。
感染症についてはペストやコレラ、スペイン風邪をはじめとして、いろいろな疾病で私たちの生存が脅かされてきていることは事実です。戦争によって食糧に困窮することも、過去からずっとあることです。経済危機も世界恐慌やリーマンショック、戦時下や戦後の混乱の中でのインフレなどが起こってきています。地球の活動による影響も飢饉につながるなどの形で見えているものです。
十分に予測できるこれらのリスクの中で、弱い立場であり、理不尽なまでに影響を受けるのは、子どもたちではないでしょうか。私たちは、というよりも国の政治では、これらの想定が十分に可能なリスクに対して、「子どもたちが食べるに困らない」社会を作ることが何より優先だと考えます。
ですが今の日本はどうでしょう。
子ども食堂の立ち上げやフードパントリーなどの話があるように、すべての子どもたちが食べるに困らないとは到底言えないのではないでしょうか。そのような状況なのに食糧自給率は低いままで、諸外国からの輸入を前提にした考えから抜け出せていない方が多いように思います。
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