市議会なのに、なぜこんなことを考えているのかと言われそうですが、大きな流れは自治体にも影響があることと考えるので書きます。
コロナ禍の出口が見えていますが、だからといってコロナ禍でのいろいろなことは、まだまだ検証と評価がされているものではなく、そういう意味では総括されるまで何らかの影響があると思います。
例えば、海外からの観光誘客について、コロナやインフルエンザだけでなく、今は梅毒の流行といった性病も含めて、人の移動による感染症のリスクをどう考えるのか、リスクを最小限にして国内の健康環境を守ることをどう考えるのか、私たちは向きあっているかと考えると心もとない気がします。
経済について考える前に、生物学的なヒトとして、社会的な存在の人間として、私たちは平等だと考えていたりしますが、実際はどうかと考えると、住んでいる国や地域によって差(格差)があることが前提になってしまってはいないでしょうか。
その一方で“自由な貿易”が語られるわけですが、平等でない状況があるのに自由に貿易というのは、矛盾をはらんでいないでしょうか。それに、自由であるということは、相互の社会を尊重することがあってこそで、企業に都合よくルールを設定されたら、見かけは自由や平等が語られながら、強者の論理でルールを作られるとしたら、一体それは誰の為なのでしょう。
大きな企業がどこをみて活動を行っているのか、安くモノが手に入っても、それが国外での生産などに依っているのなら、安くされている分のお金が国内にまわっていないということだし、生産に携わっている国の人たちはどのような待遇なのかを考えることが大切ではないでしょうか。きれいごとを言っていても、その根底に傲慢で強欲な部分があれば、きっと他を淘汰して一人勝ち、自分さえよければという行動があると思います。
それと、これまでは利害の方向性が一致していた部分が多かったから、見かけの安定が保たれていた国際社会も、その中で力をつけた国の為政者が、自分のエゴを国の運営で実現することが増えた今、違う局面の中にいると考えたほうがいいのではと思います。
そんなこんなをいろいろと情報を見たり聞いたりして考えてしまうのです。
その中で、これからの社会を考えるにあたっては、グローバル社会という前提を考え直す必要があると思います。グローバルへの依存を低くしながら、できるだけ身近な経済を大切にする、私たちの生活を見直したり創りなおす時代なのだと思います。
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