“便利”の向こう側を考えることがあるでしょうか。
便利であることの向こう側には、便利であるが故のリスクが潜んでいたり、何かを奪われている可能性もあると考えることが、検証したりすることが必要だと思います。
ひとつの例でいうと、車社会で各種道路が整備されて便利になった反面、事故が増えるということもあったでしょうし、また便利であることは、空き巣などの犯罪の際に逃走しやすいなどにもつながってはいないでしょうか。
直近では、CHAT GPTが話題になっていますが、ネットやアプリ関係では無料で使えるものも多いのですが、それらの便利さの向こう側にあるものは、性善説に基づいたものなのでしょうか。
写真加工アプリをはじめとして、AIで生成されるものもあったりして、たしかに楽しいのかもしれないと思う一方で、それらのソフトを提供している会社がどのような国にあり、アプリを利用するためには、自分のスマホなどの中にある何にアクセスされているのか、それらを集められることへの不安はないのでしょうか。
そう考えると、メディアやネット上で便利という方向性の話はよく見かけます。ネット上では、リスク面を取り上げた論調も見られるのですが、テレビなどのメディアではリスクに正面を向いて考える論調や、バランスよく報道されていることは少ないように思います。そうなると、便利であることなどが前面に出されるため、気が付いた時にはリスクに囲まれてしまっているようにならないか気がかりです。
AIを利用した動きについても、嘘ばかりだとばれるけれども、本当の中に紛れ込んだうそを見抜けるだろうかと考えます。その嘘さえも、本当のものを背景としたもので構築されると、私たちは嘘と認識できなくなってしまう怖さがあると思います。それは、男性が顔加工アプリを使って、あたかも実在するような女性の姿になった事例がある事でもいえるでしょう。
またCHAT GPTのようなことを考えると、もし文章を構成する際のアルゴリズムなどに、特定の回答傾向になるように埋め込まれる思想があったとき、私たちはそれによる回答に気付けるでしょうか。もし、盲目的に回答を信じるようになったとしたら、気づくことができないままだとしたら、特定の思想傾向に私たちは方向づけられる可能性があるわけで、それを考えると良い面ばかり見るのは、怖いことだと考えます。
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