日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本。国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

リベラルの立場にたっていても良識と合理的思考ができる者であれば、憲法9条の問題点は明白に認識できるだろう。

2017-11-16 10:14:04 | 憲法
現在、憲法改正については、いわゆる右派が賛成でリベラル派や左派は反対という立場に二分されている。

しかし、現在の資本謝儀的社会を否定する立場の差ははともかく、リベラル派を称する者が一律に憲法9条の改正に反対というのは不思議なことである。

憲法9条は明らかに破綻しており、物事を客観的に観察し理性的に判断できる能力があれば、リベラルという立場でも憲法9条は改正すべきと判断するはずで゜ある。

そもそも、憲法の価値はその条文によって時の国家の権力行使を制限し国民の権利を守ることにある。

しかし、憲法9条では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と明記されているが、自衛隊はどう理屈づけようが、陸海空の戦力であることは否定できない。

つまり、今の日本国憲法は時の政府の解釈で条文に反することも実行できる存在に成り下がっている。これでは国家権力を制限し国民の権利を守る役割を果たいことはできない。

一方、憲法を文言通り解釈すれば、自衛隊は明らかに憲法違反の存在である。憲法を遵守する立場であれば、自衛隊は解体されるべきである。

しかし、現在の日本を取り巻く国際環境を客観的に判断すれば、憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」書かれているように、我が国の安全を中国や北朝鮮、ロシア、韓国に委ねることはできない。

また、戦後一貫して我が国の安全保障はアメリカに依存しているが、その結果アメリカ軍に多くの日本国土を提供しているだけでなく、外交や経済政策、日本の政治体制等の多くの面でアメリカに実質的に隷属せざるをえなかったことは周知の事実である。

現時点では、日本国憲法は世界情勢や日本を取り巻く環境に合致していないだけでなく、憲法として国家を制約し国民の権利を守るという役割を果たせておらず、日本の国家主権をアメリカに侵害される元凶となっている。
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出る杭は伸ばすという経営者の言葉を信じると大抵バカを見る

2017-11-15 10:23:37 | 日本社会
日本の経営者の中には、私は出る杭は伸ばす経営者だと自負している人が多い。一部の経営者はそれを公言し、失敗してもいいからどんどん積極的に行動してほしい、と新入社員に訓示をしている。

経営者は本気でそう思っているのだろうが、その為のシステムを社内に構築できていることはほとんどなく、実際にそう強弁する経営者のいる企業も他とそれほど大差はない。

大企業においては、社員の働きが直截社長の目に留まり、社長が直接評価することはありえない。

実際に社員を評価するのは上司であったり先輩である。彼等は大抵の場合自分の部下や後輩がスタンドプレーをするのを好まない。これは人間の本性である。

今迄の社風に無い新しいアプローチをしたり独自の行動をすればするほど周囲の人間には目立つためのスタンドプレーとしか思えない。成果を上げている時は黙認されても、少しでも失敗すれば必ず足を引っ張られることになり、社長の目に留まる地位に達するまでにいろいろ理由をつけて潰されてしまう。

社長の言葉を信じて行動しようとした新入社員の多くも上司や同僚に叩かれ、3年もたてば上司や先輩と同じ社風の染まることになる。

経営者が本当に出る杭のような社員を評価し活用したいと考えているなら、その方法は単にそのことを社員に表明したり訓示することではなく、出る杭のような社員が確実に評価されるような評価システムを構築しなければならない。

多くの人事評価システムは、主観的な評価内容を含んでいる為、気に入らない部下を低く評価することは難しくない。

出る杭のような社員を表舞台にたせる為には、その行為自体を客観的に評価できるようにすべきであるが、出る杭を好むと称する経営者が存在する大抵の企業の人事システムはそうなっていない為、出る杭を優遇するという社長の意欲は、何故我が社には出る杭のようなとびぬけた社員がいないのか、という愚痴に終わるだけである。
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45歳以上必見、年金等所得控除が無くなれば税金や社会保障負担はこんなに増え、老後生活を圧迫する。

2017-11-14 10:26:40 | 国民生活
昨日も述べたが、財務省の意向をうけた御用学者が公的年金等所得控除の不公平性を主張し始めた。

過去の例から見ると、御用学者の次はマスコミが騒ぎはじめ、最終的には政府が財務省の意向に沿って国民負担を増加させる。

それでは、実際に公的年金等所得控除が廃止されたら年金生活者の生活はどうなるか、65歳、年金額200万円、独身という設定で大阪の例で試算してみよう。

公的年金等所得控除廃止後()内は現行制度
年間収入200万円(200万円)
年金所得200万円(80万円)  年金控除120万円が0になると仮定
所得税8.1万円(2.1万円)  基礎控除38万円のみ適用、税率5%
住民税17.2万円(5.2万円) 基礎控除33万円、税率10%、均等割5.3千円
介護保険10.1万円(8.9万円) 29年度分
国民健康保険25.6万円(8.7万円) 5割の軽減措置が適用外になる。

公的年金等所得控除が廃止になった場合の可処分所得の変化
現在   年金収入200万円 可処分所得175.1万円
廃止後 年金収入200万円 可処分所得139.0万円

生活費に月20万円、年間240万円、平均余命20年で計算すると
現在では不足額は1298万円
廃止後の不足額は2020万円に増加する。

サラリーマン時代と同様の生活をおくろうとすれば最低でも年間300万円程度は必要であるためさらに1200万円の蓄えが必要となる。

いずれにしても、公的年金等所得控除が廃止されれば、今の45歳以上の中高年は65歳以降の生活に備えるために、一層の節約が必要となる。

当然、自宅が無く家賃が必要な人や65歳時点で住宅ローンが残っている人は、年金と貯蓄で生活するのは困難となる。


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いよいよ始まった財務省の給与所得控除、年金控除削減による大幅増税の陰謀

2017-11-13 10:19:25 | 国民生活
財務省がいよいよ給与所得控除と公的年金等控除の改悪に乗り出した。これを先導するように、御用学者が給与所得控除は多すぎる、公的年金等控除は不公平だと主張し始めた。

彼等は、給与控除や年金控除は本来、「働いて稼ぐのにいろいろと経費がかかるから、その経費を概算で収入から差し引いて所得税の負担を軽減する」のが本来の目的である、という建前を強調し、給与所得については、実際には給与所得控除の額も必要経費はかからない。だからこれを削減する。

年金所得控除に対しては、働きにいかないのだから経費は必要としない、として大幅な削減を目論んでいる。

しかし、そもそも大正時代に発足した給与所得控除は必要経費の概算控除を目的としたものではなかった。

現在の給与所得控除の枠組みが作られた1974年以降、必要経費の概算控除という性格が強調されたが、その当時でも「給与所得者の間における所得税の負担感は、依然として解消したとはいえず、引続きサラリーマン減税を推進する必要がある」という観点が強調された。

そもそも給与所得控除は、自営業者が自宅や車、食事に至るまで事業用と言う名目で必要経費化できることとの所得間の不公平を解消すると同時に、加重な税負担を回避することが主目的であり、必要経費の概算控除というのは理論上の名目にすぎなかった。

公的年金については、元々給与所得扱いであり給与所得が適用されていた。これが給与所得から雑所得に所得変更された時に公的年金等所得控除と老齢者年金等特別控除が適用されることになった。

これは、年金額が給与と比較して少額である為、控除を増やすことで老後の生活を安定させる目的があった。

ところが、小泉政権は老齢者年金等特別控除を廃止し、公的年金等所得控除を減額した。その結果、年金生活者の税負担、社会保障負担は大幅に増加し、高齢者の生活を大いに圧迫した。

元々、公的年金等所得控除の主目的は給与所得と比較し大幅に少ない年金収入の税負担等を減らすことで高齢者の生活を安定化することであった。

それを建前でしかなかった控除理由を強調し、必要経費はいらないから、という理由で控除を削減すればその税や社会保険等の負担は大幅に重くなり、高齢者の生活基盤を破壊することになる。

今でも200万円の年金で税、社会保険で40万円近い負担があり、年金生活者の生活を圧迫しているが、控除がさらに減額されれば、半分近く税や社会保険で獲られことになりかねない。

元々、年金は本人の給与からの積立額と会社の給与の一部としての負担から成り立つものであり、そもそも預金元本の取り崩し同様のものを所得とみなすこと自体がおかしいことである。

政府は特に国民年金相当分は税金で賄われている部分が多いと主張するだろうが、それはサラリーマン以外の層を国民皆保険の名目の下に年金制度に組み込んだ結果であり厚生労働省の政策失敗である。

元々、サラリーマン層だけをとれば、厚生年金部分は勿論、国民年金部分と言われる部分についても、国の税金は必要とせず、労働者と起業の積立部分とその利息だけで賄えるものであった。
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私は何故マルクスの共産主義を信用しなかったのか

2017-11-08 10:01:43 | 日本の政治システム
私がマルクスやエンゲルスに初めて触れたのは大学の1年の時であった。難解で読みにくい書籍であったが、当時私の周辺では多くの者がその書籍を読み共産主義に傾倒していた。

しかし、当時から私はそれになじむことができなかった。

マルクスの理論の核をなす労働価値説では、価値には使用価値とその物の価値と二種類ある。

使用価値とはその商品の効用であり、価値とはその商品の価格を構成する根本である。

商品の価値を生むのは労働だけであり、その意味で商品の価値は本来労働者だけに帰属する。

ところが、資本家は本来労働者が生成した価値より少ない額を労働者に支払い、その差額を自分のものとし利潤を得ている。これが資本家による労働者の搾取である。

資本家により本来自分のものである価値を搾取されているから、労働者はどんなに働いても生活は楽にならない。だから労働者は団結して資本家を打倒し搾取を止めさせる必要がある、というのがマルクスの立場であった。

当時、疑問に思ったのは、資本家といえども経営者であり、商品企画やマーケティング、販売戦略等商品の使用価値を高める作業の多くは労働者よりも経営者に帰属している。

商品の価値がその生産に投入する労働力の総和で決定されたとしても、使用価値がなければその生成された価値が無価値になることはマルクスも否定していない。

とすれば、使用価値を高める為の資本家(経営者)の行動は商品の価値を市場で実現する為の不可欠な行為であり、資本家を一律に搾取者と断罪することはできないのではないだろうか。

当時の私はその疑問とスターリンの独裁をもたらしたソ連という国家への不信感から、大学を卒業するころには共産主義とはすっかり遠ざかっていた。


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