日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本。国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

年金と日本の未来

2021-05-17 10:13:09 | 年金
財政悪化を考える上で無視できないのが社会保障費の増加である。今回はその重要な構成要素である年金についてみてみよう。

年金の支給額は約55兆円程度で、その財源は年金保険料、年金運用益、年金積立取り崩しで賄われますが、それ以外に現在一般会計から13兆円支払われている。

年金財政の危機が警告されているのは、高齢化で年々支給する年金が増加するのに現役世代の支払う年金保険料が追い付かず、年金積立金の取崩しや一般会計からふりかえる金額が増加することが不可避であることによる。

これに対し政府は収入面では保険料を毎年引き上げ支払面では年金改正の都度減額するだけでなく、マクロ経済スライドを導入し、物価上昇時に支給額を抑えることで年金負担の圧縮を図っている。

団塊世代が完全に年金生活に突入し、寿命も延びていることから、年金財政は今後も赤字が拡大することから、更なる保険料上昇や年金削減は不可避と考えられており、このことが高齢者の消費意欲の減退と若者の年金不信をもたらしている。

財政的に見れば、この方向性は間違ってはいない。しかし肝心なところが抜け落ちている。それは現在日本で65歳以上の大部分の高齢者の
生活を支えているのが年金であり、その高齢者が消費支出に占める割合が大きいという事実である。

夫婦2人では一般的に月26万円が必要とされており、単身でも夫婦2人でも退職前と比較し節約したとしても年金だけでは足りず貯蓄を取り崩さざるをえないのが実情である。

財政面だけを見て年金額を削減すれば、そのツケは仕送りという形で子供の層の負担増につながるか、生活保護の増加という形で政府の負担増に繋がりかねない。

また、年金保険料を大幅に増やせば若年層の可処分所得が減少し、消費が減少するだけでなく、若年層が退職後に必要な貯蓄をする余裕がなくなり、結果的に彼らが高齢者になった時の負担を増やすことになる。

年金財政を改善するには退職後の生活をどう維持するかという視点が不可欠であるが、今の自民党政権は説得力あるプランを提示できておらず、これが国民の老後不安を煽り消費を委縮させている。
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日本をむしばむ平等が一番という無責任

2021-05-14 10:15:28 | 日本衰退
日本では難でも平等に扱うことが善だとされている。世界ではワクチン接種者に対してはワクチンパスポートを発行し様々な面で優遇策が講じられているが、日本ではワクチン接種者と未接種者の差別を産むとして否定的な意見が多い。

ワクチンであれ少子化対策であれ何かを実現するには国民をその方向に誘導することが不可欠であり、その爲にはその国策に従う者とそうでない者の間には明確な差を設けるのが必要である。

しかし、日本ではそのような政策を実施しようとすると不平等だとか差別だとかいう批判が沸き起こる。政策当局もその批判を恐れことなかれ主義の中途半端な対策しかうとうとしない。

地震災害で家を失った多くの被災者を救い、日本経済にプラスとなるようにする最も良い方法は被災者の家再建を支援することであったが、国が個人の財産を補填するのは平等に反するという理屈が優先された結果、多くの災害での被災者は依然として元の生活水準に戻ることができないでいる。これは日本経済低迷の一つの要因である。

この悪平等は政策の面でも顕著である。日本の将来を考えれば今最も予算を投入すべきは少子化対策であるが、他の予算をゼロにしてその分を少子化対策にと予算を集中的に投入するといったことはできず、他の既得権とつながった予算には手をつけないままで予算を確保しようとするため、十分な予算は確保できず思い切った少子化対策はうてないでいる。日本ではどんなに重要な政策目標があっても既存の予算を削減することは非常に困難である。

少子化対策であれば、不妊治療に金を出すより子供を産んだ家庭に十分な金銭的支援を与える方がはるかに有効である。しかし、子供のいる世帯を優遇すれば、子供のいない世帯から不平等だと批判され、政府はそれを嫌って優遇策をとることに躊躇する。

一方不妊治療支援については、少子化対策としては費用対効果が悪いが、正面きっての批判はおきず一応何かしたという実績は残せるので選ばれたものである。

全方位に目を配り、不平等という批判がおきないようにしていることから、日本では緊急事態に対応できず、平時でも不合理で効率の悪い政策がとられ、世界すらますます落ちこぼれていく。
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患者が生きることを希望せず、家族がそれを容認するなら安楽死を認めるべき

2021-05-13 09:56:21 | その他
医師二人が嘱託殺人容疑で逮捕されている。現在日本では安楽死は認められていないが、これにより多くの患者と家族が不当な苦痛を受け続け不幸になっていることは否定できない。

現在の法体系は命は何よりも重要であり、その命は自然に任せるべきであり人為的にそれを縮めることは容認されていない。

しかし、人間にとってどんな状態であれ生きながらえることが価値のあることだろうか。人間はどんなに健康に気をつけていても必ず死ぬ。死ぬ運命を逃れられる者は一人もいない。

死が避けられないものとすれば、外から見れば人生の差は生きている期間の長短にすぎない。とすれば人生の価値は単に長生きすることではなく、如何に充実して生きるかということにある。

多くの人間にとって充実した人生とは、自らの思うように行動し楽しむことである。これができず動くこともできず、将来治る可能性もなく苦痛に襲われ続けるとしたら、そんな人生に意味を見出せる者はごく少数であり、大部分の凡人患者とその家族にとってそれは耐えられない不幸である。

この不幸に直面し、これ以上の苦痛に耐えられず死にたい患者と、患者の苦痛を日々目の当たりにし苦慮する家族に対し、それでも寿命がくるまで苦しみながら生き続けよと言うことは拷問以外の何物でもない。

そのような不幸な患者と家族を解放する為にも安楽死を認めることが望まれる。

人間にとって運命が命を奪うまでは、生き続けるということには何の価値もない。人生の価値は如何に充実した生き方をするかにこそ存在する。
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今の日本ではコツコツ働くだけでは生活できない。

2021-05-12 09:57:10 | 国民生活
昭和の日本は、学校を卒業したら大部分は正社員として雇用され、最初に入社した企業で真面目に働いていれば、日本経済の発展と年功序列に守られ、定年まで生活の心配をすることはなかった。また、定年後は退職金と年金で十分に生活することができた。

定期預金の金利が5%前後と高かったため、2000万円定期預金があれば、何もしなくても100万円の利息が入り、いまよりはるかに高水準の年金と併せれば、定年退職後無職でも十分に生活できた。

それが、高度成長後バブル崩壊までの平均的な人生のパターンであり、そこで要求されたのは与えられた職場でコツコツ真面目に働くことであった。

しかし、バブル崩壊後長く続いて自民党の失政の結果日本社会は大きく変質してしまった。学校を無事卒業しても、気の利いた者でないと就職戦争を勝ち抜けず、安定した企業の正社員の椅子を得るのはごくめぐまれた一部の者だけとなった。しかも、安定していたはずの企業に勤めていても失業者になる可能性は以前より格段に高まった。

無事に定年まで勤めても、退職金の額は減少傾向にあり、現在の低金利下では退職金の利息は微々たるものでありとても生活の足しにはならない。また、年金も年々減額され支給時期も先送りされており、それで生涯安心というには程遠い。一生死ぬまで働いて収入を得ないと生活することは
難しい。

昔のように真面目にコツコツ働いていれば生涯安心という社会ではなくなった。企業にこびへつらい70歳ま
で雇用してもらいことは、今後の老後の死活問題となりつつある。

正社員になることに失敗し非正規労働者としての道を選択せざるをえなかった者にとっては老後はとても厳
しいことになる。非正規では多額の貯金を準備することは難しいし、退職金はない。さらに年金も生活を支えるほどの額ではない。さらに年をとると非正規の職も得るのが難しい。



老後は生活保護に頼るしか道はなくなるが、生活保護については国家はこれ以上の拡大を望んでおらず、制
限はますます厳しいものになる。

今の日本では個人がそれぞれ自分の才能を金儲けに活かすことが人生を無事に全うするための最低限の条件になりつつある。

これからの日本人はアメリカ型の厳しい社会での老後を覚悟しなければならない。それが自民党政権の方針であり、自民党政治を選択した国民の総意である。
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法律や規制は三つの条件を満たさないと人は動かない。緊急事態宣言はだから効果が無い

2021-05-11 09:55:48 | 感染症
法律や規制を国民に守らせるためには三つの条件が必要である。一つ目はその規制や法律を守ることが正しいことだと国民が受け止めること、二つ目はその規制や法律を守ることが国民にとってそれほど難しいことではないこと、三つ目はそれを守らないと何らかの罰則やペナルティを受けることである。

これらの条件を全て満たせばその法律や規制は国民に順守されることになる。しかし、その要件が一つでも欠けるとその法律や規制は守られなくなる。

今回の緊急事態宣言に伴う規制はこれらの条件を満たしておらず、効果を得られないのは当然のことである。

まず、気緊急事態宣言による各種の無規制が感染防止にどれほどの効果を持つか国民の間では疑念が生じている。

次に何度も緊急事態宣言が繰り返されることで国民の間に大きな不満や不信感がうまれ、少しぐらい破ってもどうってことはないという気運が生じている。また飲食店にとっては規制を順守することは収益面で大きなダメージを被ることであり難しい選択を迫られる。

また、規制を無視しても何ら罰則がないため、規制を無視しようとする者にとって抑止効果がない。

これではせっかくの緊急事態宣言も感染防止に大した効果が無いのは当然である。法律や規制においては性善説ではなく性悪説を採用すべきである。
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