復興というものがいつ終わるかというと正直、「これで終わり」というものは無いのかも知れない。
現に1995年1月17日の阪神淡路大震災の復興も完全に終わったとは言い切れない。
ただ、復興の進み具合を比較した場合、阪神淡路大震災における仮設住宅の撤去は確か
5年後だったと記憶するが、色んな意味で遥かに遅く感じる。。。
住めなくなった土地。住めたとしても生活が成り立たなくなった町。
「区切りの3年」とはよく言いますが、国家賠償法による時効の成立も確か3年。
持ち主が分らない「遺品(遺失物)」も、これを機に処分されるケースもこれから多くなるであろう
「区切りの3年」。。。
3年前の自身のブログを読み返してみると、間違った事柄や情報も書いていたように感じる。
当時、自分に何が出来たのか・・・何をすべきだったのか・・・。少ない義捐金を送り
それで自分自身を納得させるも、自問自答の繰り返し。
原発問題については何かの折に突然、怒りがこみ上げこの場でも幾度か書き倒す始末。
「1.17」で被災された方々には申し訳ないのですが当時、確かに建築に携わる者として
地震により、せん断破壊された建築物や工作物の映像が頭にこびり付き、ストレスを
感じた時期も有りましたが、やがて薄れて行ったのも事実。
しかし、「3.11」の心身に溜まるストレスは未だ薄れることなく頭の中に残存する。
遠く離れた場所で震災前の福島とよく似た環境にある土地で、当たり前のように
生活が出来ている現実。
区切りの3年とは言うものの、これからも自問自答の日々が続く・・・。