先日、「8月15日」に続き、土花吉の妻の集団ワクチン接種2回目の会場が又もやの港の方の施設だったので、
待ってる間、港の辺りを散策。。。この日は天気も良く、釣り客もチラホラの波止場にて。
そして、ここから左に少し目線を向けると、今では単なる駐車場と化したここは昔、線路が布設してあったところ。
左右の倉庫群の間に当時、立派な複々線があり貨物車も止まっていて、今は現存しない港駅まで繋がっていた。
実はこの場所は、今から23年ほど前に土花吉が「港・鉄道ミュージアム計画」として提案した場所となる。
当時は「まちづくり」などと言う言葉もなく正直、大胆過ぎて誰も見向きもしなかった記憶がある。
何処の街にもある、旧国鉄から賞与され縁も所縁ない公園にただ放置されているSLをここに移動させ
駅から給水塔を移設させるは、市立博物館から港鉄道関連の歴史資料は全てここに移管させるはでオマケに
市立博物館を「大和田荘七記念館」に変更させると来た日にゃ~、そりゃ~「ポッカ~ん」としますわなぁ~。
開港から33年後の昭和7年(1932年)に完成したこの倉庫を当時、採寸しながらスケッチしたのを思い出す。
地元の「まちづくり」はその後、ちぐはぐでご覧の有様。
何を残すべきで何を新設するかも分からず点々バラバラ状態。各施設の点を線で結ぶにはあまりにも遠く
各施設に付随する訳の分からないガラリとした駐車場だけが目立つ状態。
この23年前の後、少し離れたところにはパチモンの「鉄道資料館もどき」が建ったり、さほど価値もない
赤レンガ倉庫を数億円かけて改修し、鉄道ジオラマを造ったりで何を目指しているのやら・・・。
そんな、昔の「幻の計画図」だけが手元に残っているのを、この日この場所を訪れ、ふと思い出した「まつづくりの難しさ」。。。