鉄道情報雑誌「鉄道ジャーナル」が休刊するらしいですね。丁度、土花吉が「鉄男」だった頃に創刊した月刊誌だった
記憶があるので半世紀ちょいの歴史でしょうか。当時、他にも「鉄道ファン」とか「鉄道ピクトリアル」があって当然、
中学生の土花吉は子供の事情により本屋での立ち読みで目を通していた。内容的には厚さも含め「ピクトリアル」が
少し落ちて「ジャーナル」と「ファン」が、その写真の上手さも含め内容も濃かった。映画雑誌で言う「スクリーン」と
「ロードショー」みたいなもんでしょうか・・・。
ところで、「赤ナンバー」と言っても例の「仮ナンバー」のお話ではなくて。。。
土花吉の机の脇に無造作に立てかけてある、8kg程の砲金製のヤツ。又、買っちゃいました結構なお値段で・・・。
蒸気機関車の実装ナンバープレート。浮き文字と額縁部分のみ磨き上げた状態。
因みに地金(黒ベース)部分やエッジと裏面は洗浄等の手を加えると価値が下がってしまう。
廃車解体時に本体から取り外す折、ボルトが錆びて外れない時はガスでの切断。そのガスで溶けてしまった跡も
敢えて触ってはいけない部位である。
この蒸気は1920年(大正9年)製造。1974年(昭和49年)の廃車解体まで、山陰や北九州で走っていたカマ。
手元に届いて色々と観察してみると長年、何層にも塗り重ねた地金の黒色に微かに赤色の塗料の痕跡が見つかる。
これについては諸説あるものの、このカマ(蒸気機関車)が優秀機であった証となる。
石炭によるエネルギー効率が僅か数パーセントしかなく、非効率的と揶揄された蒸気機関車。
水を千数百度まで沸騰させ蒸気を発生させる過程で、そのほとんどが煙となり消えてしまう石炭を燃料とするボイラー。
そんな数多いカマの中でも比較的、燃料効率が高かったカマが検修(整備修繕)過程で、そのナンバープレートの地金の色を
機関区に依っては黒色から赤色に塗り変えたとされる。これは名誉のことであって、現役時代はさぞ自慢げに
走っていただろうと想像できる。
又、当初の津和野機関区あたりで赤プレートに塗られ、後に移動した門司機関区か最終配属地の後藤寺機関区で
赤の上から又、黒に塗り変えられたとも思われる。
因みに門司区や後藤寺区では優秀機のナンバー塗り変えという習慣は無かったとされる。
「非鉄」の皆様には全く興味のない話で恐縮ですが、元「鉄」の土花吉にとっては100年以上も前のただの
砲金の板に大枚をはたいた変態行為の嬉しい誤算なんですよねぃ。(笑)
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